有賀泰治ブログ

無知は人生に壁をつくる (経営方針共有勉強会1月)

2009年1月の念頭にあたり、『無知は人生に壁をつくる』
田舞 徳太郎 著 を紹介しました。

「無知な人ほど自分の無知さ」に気がつかないのです。この世の中はお金のある人が成功するものでも、学歴の高い人が勝利するものでもありません。「私は出来る」と心の底から思える人が、最後は勝利するのです。・・・・・

HP社は、自助努力のできない人間には自然淘汰(とうた)という厳しい現実が待っているのです。だからこそ全員が必死にキャリアプランを立てて、自己改革をします・・・・・

志の高さ低さが
人生の意味の高さ低さになる
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私は思わずうなりました。なるほど、人間が小さいことにクヨクヨ 悩むのは、現実できそうな小さな夢しか持っていないからなのです。もっと大きな夢に向かってチャレンジしていたら、どうでもいいことに悩む暇さえなくなるのです。結局、志の高さが人生を決めているのです。
 吉田松陰は、真の指導者として、「志をもて、知識を磨け、気力を養え、しかしそれだけでは学者に過ぎぬ、心の指導者は徹底して行動せよ」と言っていますが、松蔭が残した「志をもて」の言葉の意味は、人生で実現できないような大きな夢や志のことだったのです。
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志の大切さ 人生はその人の能力ではなく、志の高さで決定されます。低い人はそのような毎日を送り、志の低い考え方に支配されていきます。時間の使い方・仕事の仕方・対人関係、立ち振る舞い、すべてその小さな積み重ねが人生のあり方を低いものにしていくのです。
 逆に志の高い人は、自分の人生に意味のあるものを求めて生きていきます。・・・・・
 

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すべての人生はその人の意思に決定されていると言っていいでしょう。立派な経営者が最初からいるのではありません。血の滲む(にじむ)ような努力を積み重ねて、その苦労の後に立派な経営者になっていくのです。つまり、立派な経営者になると決断し、そのような生き方を心掛けたから立派になるのです。人生はすべて必然です。成功も失敗もなるべくしてなっているのです。
 経営者でだけではありません。音楽家・学者・作家など、その道を極めたすべての人は、偶然に才能があったからではなく、毎分毎秒そうなるべく、命を削りながら不断の意思決定をした結果そうなっているのです。

 森信三先生はこう言い切っています。
 「そもそも真の志とは、自分の心の奥底に潜在しつつ、常にその念頭に現れて、自己を導き、自己を刺激するものでなければならぬのです。 そもそも、人がその一言を慎(つつし)み、一つの行をもおろそさかにしないということは、その根本において、その人が、この人生に対して志が高く、かつ深いところから発するのだと言えましょう」
 『修身教授録』での森信三先生の言葉は強烈に私の胸を抉(えぐ)ります。なぜなら、私の志の低さゆえに、私の一言や行いは、志を果たすだけの一挙手一投足にまだ至っていないのです。人間は最初から偉大な人はおらず、自分の意思で偉大をつかんでいくものです。

歴史家のジョバンニ・ポルテの言葉の引用ですが、偉大な国家を滅ぼすのは決して内面的な要因ではないのです。それよりも人間一人ひとりの心の中、その反映たる社会の風潮によって滅びるのです。

「無知の知」
この言葉は、古代ギリシャのアテナイ、哲学者ソクラテス自身の解釈から生まれたものです。「ソクラテスが一番の知者である」という神のお告げに対し。最初納得いかなかったソクラテスは、最期にこのように解釈し納得するのです。つまり「多くの人間は、自分が知恵や知識がないにもかかわらず、何でも知っているように錯覚している、自分も皆と同じで何も知らぬが、何も知らないということを知っている点で知者である」
われわれ人間はたくさんの思い込みで生きています。一番の危険な思い込みが、自分は何でも知っているという思い込みです。あれは知っている、これはわかっているという思い込みに対して、ソクラテスは毎回弁証法的に問いを発しました。

「汝自身を知れ」の言葉を発していきます。人間は多くを知りすぎているが、肝心の自分のことを誰も知っていない。だから、「汝自身を知れ」と迫ったのです。つまり何が真実かを知らずに、知っているつもりになっている自分に気づけと主張したのです。
 無知な人とは、自分はわかっているつもりになっている人のことです。自己への気づきの低い人は自分の無知に気づきませんから、心の底に向上心がわいてこないのです。人間はどのような立派な立場に立っても自分の無知に気づくことが大事です、無知を知ると謙虚さが生まれ、成長意欲が生まれます。無知な人間は無知の自覚が欠如したまま生涯を送りますから、いざ問題や障害が出たときに解決できないのです。まさに人生そのものに壁があるのではなく、その人の不勉強さと愛や他人への配慮のなさが人生に壁をつくり出していくのです。

王陽明と良知
王陽明は人間の可能性を信じていました。「人間は誰しもが素晴らしい潜在能力を持って生まれ、それを磨きさえすれば必ず良知にいたるのだ」と信じて疑わなかったのです。一番大事なのはその良知にいたる能力を磨く努力だと主張し、努力の道のりが「知行合一」の思想までに昇華されていったのです。・・・・
・・・・・厳しい現実社会を切り開いていくためには、百の知識よりも、「縦横無尽に受けた人生の切り創を通してつかまれた真理でなければ通用しない」ことに気づいたのです。
人間の一生は何に時間を費やし、何にお金を使い、誰に出会ったかで決まり、どんな志を持つかで決定されます。生命の長さは人知で推し量る(おしはかる)ことはできず天のみが知ることですが、いつ、どんな時にも、ドット・ピーマーさんのように、「さあ、行くぞ」という気概で生きて生きたいものです。

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