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有賀泰治ブログ

修業

今月のテーマ 《 修業 》

日本料理店で修行した
日本料理店で修業した

「行」というのは、文字通り「行い」という意味合いが強く、一方の「業」は「技」という意味。
「目にもとまらぬ早業で」なんて使い方のとき、「業」は「わざ」と読みます。

修行:仏道や学問武芸などを修める
修業:技術の習得のために努力する

ということ。つまり。「日本料理店で修業した」が正しいです。

経営方針共有勉強会 3月のテーマ《 修業 》について二か月にわたり考えてみます。

・・・・・・・・・・・・・・2017年3月1日
・・・・・・・・・・・・・・有賀泰治

1、「若い人に言いたい。僕は金もなく、モノもなく、田舎で起業した。僕に比べれば、みんな恵まれています。何かやったらいいんですよ。今の時代は本当にいいアイデアがあれば世界中から金が集まるし、成功することも可能です。あきらめちゃいけない。しないうちからあきらめるな。だって、若い人って、まだ何もやってないんでしょう。あきらめることなんかない。何も始まっていないんですよ、あなた方は」
・・・・・柳井正/ファーストリテイリング創業者

人間からの知識だけでなく、むやみやたらと本を読んだ。柳井氏は経営書、ビジネスマンの伝記などを買い込み、読破していった。
マクドナルドの創業者レイ・クロックの著書には特に感銘を受けた。クロックが唱えた
「Be daring ! Be first ! Be different !」 (勇気をもて!誰よりも先に!人と違ったことをする! )
という文句を気に入り、彼はそれを手帳に書き付けて、何度も読み返したという。ちなみに社名の「ファーストリテイリング」」はマクドナルドが代表する「ファーストフード」から名付けたものだ。
’98年フリースが大ヒットし、ユニクロは成長した。その後ヒートテックが売れ、全世界で年間5億点以上のもの服を売る規模に成長した。
だが、ユニクロは順風満帆だったわけではない。数々の失敗を乗り越えて、成長してきた。初めてロンドンに進出した時は失敗だったし、野菜ビジネスへ挑戦し、すぐに徹底したこともあった。柳井氏の歩みは失敗と切り離せない。そして彼にとっては失敗が修業だった。
「ファッションという商売は、急に売れる。急成長します。しかし、売れなくなるのも早い。フリースも売れなくなり、ヒートテックも同じです。今のままでは必ず売れなくなる。だから、常に新しいものを出さなきゃいけない。失敗は大切です。仮に成功しても、ひょっとしたら自分は失敗しているんじゃないかと思わなきゃいけない。成功していると思いあがってはダメです。もっといい方法、もっといい商品がないかと常に追い続けること。成功者は失敗を体験して、それでいて楽観的に前進していく人だと思う」
柳井氏は人とは会食しない。財界人や政治家とも付き合わない。社を出て自宅に戻り、本を読みならが仕事について考える。四六時中、仕事のことを考えるているのが体質になっているのだろう。

2、後悔しても意味がない。前向きに生きられなくなるだけだ。
・・・・・塚越 寛/伊那食品会長

伊那食品が注目されているのは、堅実な利益体質もさることながら、実質的な創業者である塚越寛会長の経営方針が実にユニークだからであろう。
曰く、リストラはしない。年功序列を守る。上場は考えない。地球や社会に貢献する。本社敷地を整備して公園にし、一般に開放する・・・。伊那食品の哲学を学ぶため、帝人、田村製作所、トヨタグループをはじめとする企業の幹部が研修に訪れる。

「私にとっての修業時代は会社の基礎ができるまでだった。社長代行になってからの約20年の間は無我夢中で、同業他社に負けまいと必死だった。他社と競争していたから、どうしても成長思考にならざる得なかった。
しかし、その間も本をよみ、先哲の教えを学んでいった。人の意見に耳を傾け、リーダシップの研修にも参加した。仕事のことを考えるだけではなく、人生をいかに生きるか、人間の幸せを真剣に考えた。そうやって長い時間をかけて考え抜いたことで、やっと自分なりの哲学を持つことができた。『人生ってなんだろう、生きるってなんだろう、どうして人は学ぶんだろう』といった根源的な疑問にも、少しも困ることなく、答えるようになった。
そうして会社の方向性が見えてきて、企業は低成長でいいと思えるようになった。
私は一冊の本とか一瞬の体験で人が変わることなんて滅多にないと思う。やはり大事なのは時間だ。長い時間をかけ、いろんな体験を積み重ねることで人間は変わっていく」
若い人に伝えたいこと
「自分の軸を持つこと」
「ひとつは時間軸だ。目標を達成するには時間をかけること。もうひとつは進歩軸。理想に向かって伸びていくまっすぐな線だ。いくら本を読んでも、勉強会に出ても、自分自身の理想を持っていなければ他人の意見やトレンドに流されてしまう。」
「それと、つらいこと、苦しいことは忘れること。後悔しても意味がない。前向きに生きられなくなるからだ。自分の人生を楽しい思いで満たすこと。過去ことを考えるより、夢を見る。そして、末広がりで生きていくんだ」

3、手を抜かずに今日一日、仕事をしてみる。目の前の人に喜んで貰えばそれでいい。
・・・・・宗次徳二/壱番屋創業者

「宗次」という名字は実の親のものでない。生後間もなく養護施設に預けられた彼は、本当の親の名字も知らない。2歳で養父母に引き取られて宗次姓を受け、それから人生が始まった。少年時代から様々な苦労を経験し、会社を創業、そして一部上場まで育て上げた。
「経営者としての私の形を作ったのは、物心ついてから15歳までの人生です。それが私の修業時代でしょう。天涯孤独で肉親の支えもなく、しかも貧乏のどん底でした。しかし、今になって思えばそれがよかった。私は人が遊んでいても、うらやましいと思ったことがない。ー遊びを知らなくとも、趣味など持たなくてもぜんぜん平気なんです。あの時代のことを思えば、つらいことなんて何もありません」

壱番館を創業してから、彼は遊びもせず。高校時代唯一の心の癒しだったクラッシック音楽も聴くこともなかった。音楽だけでない。映画や演劇もみていない。経営書もたくさん買い込んだけど、結局読まななっかた。彼はそれくらい仕事に集中した。ただ、仕事をするだけの毎日を宗次は苦しいとかつらいとか感じなかった。少年時代の人生修業を思い浮かべれば仕事漬けの生活など、遊んでいるようなものだったから。
そんな彼には、修業についての持論がある。
「経営者は苦労したほうがいい。最初から順風満帆でスタートを切ったら、必ずよそ見をします。現場へ行かなくなったり、部下に任せてしまう。数字ばっかりを眺め、現場の変化に気づかなければ、失敗するのもあたりまえです。創業者ならばなおのこと、自分自身を会社に捧げるくらいの気持ちでないとダメです。
人間には苦労が必要ですが、苦労している最中に不遇と思ってはいけない。私は孤児だったし、貧乏の連続だった。それでも貧乏の後遺症が残っているわけではないし、孤児だったから、状況や過去のことを嘆くことよりも、何か小さな目標を持つことです。1年くらいでできる目標を持つ。
その日その日を全力で生きる。大きなことを考える前に、手を抜かずに1日仕事をしてみる。そうして、目の前の人に喜んでもらえればそれでいいじゃないですか。
私は世の中のすべての人に壱番屋のカレーを食べてもらおうなんて思っていません。認めてくれる何パーセントかの方がいらしてくれれば、それでありがたいです。」
世の中から注目される経営者は、とかく、「夢は大きく」「小さくまとまるな」という。宗次は本当の苦労を乗り越えてきた人間だから、大言荘語の発言はない、終始冷静に語る。

4、世に認められるのに必要なことは何か?
認められるまでひたすら描くことです。
打たれても打たれても訴えかける、不屈の精神に人は感動する。
・・・・・千住 博/日本画家

日本を代表するアーティストである。彼は米ニューヨーク郊外にアトリエを構え、1年のうち200日はアトリエにこもって日本画を描く。だが、彼の仕事は画業だけにとどまらない。京都造形芸術大学の学長を務め、著書を次々に発汗し、一般の人に向けた美術イベントやテレビの教養番組に出演する。彼の個展には10万人もの観客が詰めかけ、講演会を催せば会場は人で溢れる。海外の仕事も多いから機上で書類に目を通す。多忙な芸術家だ。
彼にはとっての修業時代は、修業とはどこを示すのだろうか。
「私は大学に入るのに2浪しています。大学院を出て画家として食べていけるようになるまでは4畳半の部屋暮らし、昼は美大受験のための予備校講師をやっていました。はたから見れば、その頃が私の修業時代でしょう。しかし、私はそれを声高に言いたくはない。なぜなら、『あれは修業時代だった』という人は、その後劇的な展開があって、『自分は成功した』と満足している人だから。つまり、修業はもう終わった、オレも偉くなったもんだと言っているようなものです。そういう考え方をする人は、その時点で輝きを失ってしまうのではないでしょうか。
少なくとも私はそういった考え方には違和感を覚える。人間はいくつになっても、仕事に取りかかるたびに、修業は続いていると自らを叱咤するべきです」

千住 博の修業とは絵を描くために努力した日々だけを示すのではない。日本画を広めている活動も彼にとっては修業なのだ。
「自分の経験や哲学を後輩に伝えていくことも必要だと感じています。自分一人が前進するのではなく、描きながら、学校で教え、テレビで語って、講演もやって・・・メッセージを不特定多数に対して発していかなくてはならないんです。そうしたコミュニケーションも芸術的行為なのだから。
私は人が絵に感動するのは、絵画の中の色や形が綺麗だからではないと思っています。色が綺麗で感動するなら、絵本を見ても、人は涙を流すはず。しかし、そんなことありえない。人が感動するのは芸術家の姿です。芸術家が不屈の精神で作品を作り、それを人に対して訴えかけていく姿に感動する。色がきれい、形がきれいといったそんな甘いもんじゃない。打たれても打たれても相手を説得する不屈の精神に、人は感動し、勇気づけられる。
私は今後も絵を描き続けます。そして、作品が完成するまでの長い日々はすべての長い日々はすべて修業時代です。ですから、芸術家にとって修業が終わりということは絶対にあるません」

5、“できる” と判断した仕事はすぐに手を上げて、やらせてほしいと言いました。
「チャンスは準備していない人にはやってこない」
ああ、なるほどそのとおりだなって・・・

・・・・・山崎美香/御料理 山さき

神楽坂にある「山さき」は鍋ものと和食の店だ。
主人の山崎美香は会社勤めを辞め、29歳から料理屋で修業を始めた。彼女の修業時代を聞いていると、人はいくつからでも修業を始めることができ、そして、新しい道へ進むことができるとわかる。
「料理をやろうと思ったのは、食べることが好きだったのと、何かを作って、それを売るというシンプルな商売が自分にはあっていると思ったから。料理のジャンルは和食に決めていた。和食は毎日でも食べられる。毎日食べられる料理を作りたいと考えました。そして、修業する先ですけど、大きな店はやめよう、と。すでに29歳になっていましたから、なるべく短い期間で修業を終えたい、40歳までには独立したい・・・。」
彼女が「修業時代を終えた」と感じたのは、料理の腕が上達したからのことではない。修業を始めて3年目のことで、まだ料理の技は大したことはなかった。しかし、彼女はあることを悟ったのである。
「店で料理を習っていた時代です。何気なく文房具屋さんに入ったら、そこのカレンダーに書いてあった文句が飛び込んできた。
『チャンスは準備していない人にはやってこない』
ああ、なるほどなそのとおりだなって・・・。私は漠然と料理を習っているだけじゃダメなんだと。それからは休日がないなんて、文句を言うのもやめたし、休みができたとしても骨董市に出かけて自分の店で使うための器を選んだ。
チャンスは向こうからやってくると思っている人は多い。でも、仮に来たとしても準備していなければチャンスをつかむことなんかできません。何かを勉強したり、修業するのは大切だけれど、それをしながら自分の自立成長するための準備はしておかなくてはいけない。明日、チャンスが来ても大丈夫なようにしなきゃいけない」
修業はそれ自体が目的ではない。自分の力を発揮するために実力を蓄えておくことが修業であり、大切なのは力を発揮する舞台を自分で作ることだ。山崎美香はそこに気づくことができた。修業の終わりを決めるのは他人でなく、自分自身なのだ。

6、見えや気取りを捨てた人は、思いもしない力がでる。
どんな仕事も、場所も、「これこそわが使命」と決めることから、偉業への道は開かれ始める。

百田尚樹氏の小説を読んで、その主人公の生き方に久々にシビレタ。
映画「海賊と呼ばれた男」にもなり好評だ。主人公のモデルは、出光興産の創業者・出光佐三だ。「人間尊重」という経営哲学も注目を集めている。
石油を扱うことが禁じられていた戦後、氏が最初に本格的に手掛けた仕事は、畑違いのラジオの修理。「世間からはいわゆる『ラジオ屋』として見られている」と本業ができないもどかしさを吐露(とろ)している。だが、同時に「これだけでもよい修業」と前向きに捉えた。そして、生活必需品の修繕は「新日本建設に偉大なる貢献をなす」と心に決めた。

7、今月の言葉
具体的な智恵や発想は、
本気で『優勝するんだ』という
強い思いがなければ生まれてこない
・・・・・栗山英樹(北海道日本ハムファイターズ監督)

きょうという日は一度しかない。
きょうも一所懸命生きよう。
だからニコニコしていこう
・・・・・淀川長治(映画評論家)

人はみな人を支えて人を生きる
・・・・・高橋恵(サニーサイドアップ創業者

どんなに長い道のりでも
諦めずに頑張っていけば、
必ずよい方向に変わっていく
・・・・・山崎理恵

人間の喜びで最たるものは、
人に頼りにされ、人にあてにされること。
どれだけの財産を持つよりも
この喜びがいちばん大きい
・・・・・鍵山秀三郎(日本を美しくする会相談役)

粗末な汚れた今日の運命の着物を
着せられていても、
燃えるような勇んだ心の持ち主には
明日の美しい着物と模様替えされる
・・・・・常岡一郎(修養団体『中心社』創設者)

夢を持って、不動心で生き切る
・・・・・大村智(北里大学特別栄誉教授/ノーベル生理学・医学賞受賞者)

せっかく尊い人間に生まれたのである。
何とか頑張れるだけ頑張り、
自らを生かして命の限り
前進しようではないか。
人間はまことに不思議な存在で、
磨けば磨くほど光るのである
・・・・・平澤興(京都大学元総長)

人間が素晴らしい関係を築く上で
大切なことは、
決して情熱的な愛情などではなく、
日々の生活における相手への
さりげない思いやりであり、
それを受け入れる素直さではないか
・・・・・鈴木秀子(文学博士)

どんな逆境にあっても、
決して人を怨まず人を咎めず、
自らを信じて心穏やかに道を楽しむ
・・・・・渡部昇一(上智大学名誉教授)

正しく受け継ぎ、進化させて伝える
・・・・・山口喜三(330余年続く長崎カステラの老舗、松翁軒十一代目当主)

困難を乗り越えた時、人は輝く
・・・・・井上義則(八芳園 取締役専務 総支配人)

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