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有賀泰治ブログ

8月の経営方針共有勉強会

 

今月は物を揃えるについて皆で話し合いました。

人格の形成上の大切な行動です。
《そろえる》についての特集です。

社員の皆さんにいい人生を送ってもらいたいと、こい願います。

経営方針共有勉強会

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012年08月01日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・有賀泰治
1、はきものをそろえると、こころもそろう
こころがそろうと  はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の人の心も  そろうでしょう

永平寺・道元禅師の「教え」です。
個人のお宅に訪問したり、公共施設利用する時、履物が揃っていると気持ち良く入室できますが、揃っていないと心が乱れる思いをします。 かなり前は、私自身、履物を揃えるときもあれば、揃えない時もありました。しかしこの「教え」と出会ってから、私は必ずお手洗の履物を揃えるようになりました。
またそれが履物に留まらず、職場などでゴミが落ちていたら拾って捨てる、水屋が汚れていたら布巾で拭う…等、小さな心遣いができるようになりました(当り前の事ですが…)。
普段から「誰かするだろう…」という考えがなくなり率先して何事もする事ができるようになります。
またこの「教え」を一言でいうと『脚下照顧』といいます(照顧脚下ともいうらしい)。
禅寺の玄関にはよく『脚下照顧』と書かれた札が下がっています。文字づらを見て、そして玄関に下がっているものだと言えば、「足元の靴がどうなっているか振り返って見て、揃えなさい」という意味にとれます。そう、それで間違いではないのですが、もっと深い意味があるそうです。
人間は二つの自分がいると言われています。 「真面目な自分」と「不真面目な自分」。
例えば朝、「もう少し、このまま寝ていたい」という自分と、「早く起きれば気持ちがいいし、出かけるまでの時間がゆっくりとれるじゃないか」といった、二つの自分との葛藤が生じてきます。「不真面目な自分」を「真面目な自分」が抑えて生活できればこれほど素晴らしいことはありません。
脚下とは自分の足元、「我が身」、「我が心」を振り返れということです。他人の悪口はつい口から出てしまいます。不真面目な悪い自分は簡単に人を批判してしまいます。自分は他人の批判(悪口)ができるほどの人間なのか、自分はどうなんだと振り返らなければならないと戒めているのです。こういった心を持つことはなかなか難しいですね。
このことは、家庭でのフォローが重要だと思うのです、家庭教育で人間として行動すべき良し悪しを教えることが重要なのです。
「脚下照顧」、靴を揃えることを教えられる家庭、「いただきます」「ごちそうさま」を教えられる家庭、家庭教育は大人たちが教科書であり、また同級生でもあります。
まずは、はきものをそろえることから…

“そうすれば世界中の人の心もそろうでしょう”

2、全ての根底に流れている法則。

日常生活における基本は、「足もと」であり、その象徴が「靴」だという事です。
ですから、靴を見ればその人の過去への思いが見えるのです。
例えば
・感謝して生きている人ほど靴を揃えます。(良気誘引、健康)
・恵みを当たり前として感謝しない人ほど靴を乱雑に脱ぎ捨てます。(邪気誘引、心臓・血流系疾患)
・心が外にばかり向っている人は靴を揃えません。
・心が満たされ、内を見る人は靴を揃えます。
などです。
これが解れば、私達はこの靴を揃えるという「生活の形」から正していくことで、良い気が巡り始めるということです。

3、靴を揃えるときのマナー

① 玄関先で簡単な挨拶を終えたら、先方から家に上がるように勧めらることになります。
② このとき靴を脱いで上がるわけですが、相手に背を向けずに前を向いたまま上がります。
③ これは相手にお尻を向けない為の作法であり、上がった後に身体を斜めにして上がり口にひざまずき、脱いだ靴を出口に向けて揃え直してから片隅に寄せます。

4、靴を揃える

天地宇宙は全てミクロ・マクロの違いはあっても、全て相似形で進んでいます。家屋も同様です。例えば、人に「口」があり、「肛門」があれば、相似して、「台所」があり「トイレ」があるのです。そこで、「玄関」について言えば、ここが「顔」となります。では「顔」とは?言うまでもありません。それは
・第一印象を決定づけるところであり
・頭、頭脳を有するところであり
・体をコントロールするところであり
とても大切な部位です。これに相似する訳ですから、当然、玄関の乱れが家屋の乱れと言ってもよいのです。実際、玄関・それから廊下これだけでも家族の状況が良く解るので、」結局、「玄関」とは
・家屋の顔である
・内と外をつなぐ境界部分である。
・始まりと終わりという、モード(周波数)の変わる空間である。
・家人と客人というように、人と人をつなぐ空間である。
・家屋の延長線、大地の延長線の交点である。
等です。

このように、家屋の中で、とても大切な意味を持った空間だということです。それは、住宅だけではありません。社屋にしても同様です。そして、この空間に、何があるかというと
「靴」です。
靴は、人と大地を繋ぐ境界にあります。こうしてみると不思議ですね。玄関も靴も、それぞれの境界空間を形成するものだということです。また、上記した通り、人的に見れば
靴を履く・脱ぐとはじめと終わりの境界でもあるのです。

あなたは、どこかに行く、着く、靴を脱ぎスリッパに履き替え、事が始まります。あなたは、事が終わると、今度はスリッパを脱ぎ、靴を履きます。日常行動の接点(境界)には必ず、玄関・靴がついてまわっているのです。
つまり
日々の生活の姿が、象徴的に靴の状態としてそこにあるのです。落ち着きがなく片づけの出来ない家族が集まると、靴はバラバラですヒドイものは右や左に飛び散っているものまであります。そうかと思うと、家族に協力体制があると靴もキチンと並んでいます。
ですから、あなたの住まいにある「靴」の状態こそ、あなたの家族の心の状態だと考えて下さい。
運気もそのように流れています。

逆に言えば、私達の日常生活に靴があるということは、とても有り難いことだと言えます。
「靴をそろえる」と気が整い整列する、のですから。
ならば、さらに一歩、進んで「感謝」をして靴を揃えるのです。

靴をそろえる時はいつも、何かが「始まる」か「終わる」のどちらかだから、ここぞとばかりに、ありがとうございますと、感謝の想いで靴をそろえる。
心がそろい 玄関の気が整列する、母の横に父の靴、その横に私の靴、靴がそろうと、家族がそろう、凛とした気が通る、玄関の気が整列すると、心がそろう・・・・・・
この両足で大地につながっている、この両足で呼吸している、頭ではない、この両足で地球・宇宙と連鎖している、だから、心を尽くして、感謝の想いで、今日も明日も靴をそろえる。
淡々と皆の靴をそろえる。

5、心は形から

はきものをそろえると心もそろう 。
心を磨くために形から入ると言うのは素晴らしいことです。
人は習慣の生き物ですから、形を大切にしなければならないのでしょう。 だから作法と言うのがあるのでしょうね。

6、しつけ
① ハイの返事
② あいさつ
③ はきものをそろえる。

上の3つは「森信三先生のしつけ3原則」です。
この3つのことだけを躾ければ、他の躾はできるようになるそうです。

7、脚下照顧

① 自分の足元をよくよく見よという意。
もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべきこと。また、足元に気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。
「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考える意。

② さらに、「足下を見なさい」から転じて「履き物をそろえましょう」と標語的に使われています。
しかし、真意はもっと深いところにあります。脚下とは自分の足下。自分の足下を顧みるとは「我が身」や「我が心」を振り返れ、自分が今どうゆう立場にいるか、よく見極めて事に当たれと言うことです。
私たちは日々次から次へと様々なことに流されて、自分のことを静かに見つめる機会があまりありません。「灯台もと暗し」と言うように、他人のことはよく分かりますが、自分のことは分かりにくいものです。
まず自分を見つめなくてはいけません。理想を高く持つならば、より足下をおろそかにしてはいけません。
環境の整ったところだけが修行の場所ではありません。日常生活も修行の一部です。どんなに忙しいときでも、履物をそろえて脱ぐくらい、心のゆとりが欲しいものです。
心にゆとりが出来れば自分自身の姿もよく見えてくるでしょう。自分の履物をそろえることは、そのまま自分の心の整理整頓となります。自分で履物をきちんとそろえて脱げるようになったら、他人の履物の乱れも直しましょう。

8、風水と環境整備

人間は無意識のうちに視覚、嗅覚などの五感を通して回りの情報を得ています。その情報は人間の思考や感情に影響をおよぼし、その思考や感情が行動に影響してきます。ですので、人生を良くも悪くもする自分の行動は、環境によって左右されるといっても過言ではないのです。
もっと端的にいうと、汚い場所にいれば、汚い情報が脳におくられ、汚いイメージや汚れた思考しか浮かばず、幸せになるための行動ができないということです。

風水は4000年の歴史をもつ古代中国から伝えられ長い間多くの人々の生活改善に活用されてきた環境整備学の思想です。

その教えの根本は、「大自然の法則」に従い住む人の生活をより豊かにしようという古代から長い歴史をもつ人々の幸福の知恵です。
風水で自分の身の回りの環境を整備したり、身に付けるものを整えることで発想や行動を変え人生を好転させていく。これが古代4000年の歴史のある幸福を呼ぶ風水環境整備学の根本思想です。
環境整備のできる人は幸せになれる可能性を一番秘めていることは、昔からの歴史でわかっていることです。
幸せは環境整備から!!!

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