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有賀泰治ブログ

靖国神社 参拝

靖国神社は九段坂にあります。

靖国神社神社は明治2年が始まりで、
国を守るために尊い命を捧げられた方々の御霊を慰め、永く後世に伝えることを目的に創建された神社

靖国神社問題などといろいろありますが、

先ずは国のために戦死した人々に合掌

靖国神社については、歴史観や宗教観によってそれぞれに考え方があると思います。

私の歴史観

16世紀の大航海時代、中・南アメリカでの植民地は惨憺たる光景が進行。
スペインの植民地政策は略奪と先住民の奴隷化でインディオの人口は急激に減少した。

「十年程まえ南米のアルゼンチン、ペルーを訪問しましたが先住民であるインカ人数百万人がスペイン人によって殺されたか奴隷になって滅びてしまってる様を見てきました。」

また、それが15世紀末頃からポルトガルなどで行われていた、アフリカの黒人奴隷供給に拍車をかけ、植民地での先住民の奴隷制が発展した。

黒人奴隷はアフリカで捕らえられ400年間で1億人もの黒人が犠牲になったともいわれます。

その後、スペイン、ポルトガルにかわってオランダ、イギリス、フランスが新たに植民地争奪戦に登場して、アジアに目が向きイギリスはインドやビルマを植民地化した。
その頃、産業革命が進行し、植民地にも大きな変化をもたらし、綿花やアヘン、茶などの輸出に頼らざるをえない社会に変容させた。
イギリスはアヘン戦争によって中国を半植民地とした。
19世紀資本主義の発展は著しく、ヨーロッパ列強と後進諸国との格差をひろげた。
また、トルコ帝国内の諸民族の独立運動と列強の介入の結果は、トルコの支配下にあった諸民族をトルコの専制統治から開放したかわりに、新たにイギリスの従属化に置き換えた。

アジア諸国は列強の植民地となるが、日本だけが植民地化を免れた。

それが、いま、はやりの坂本竜馬や西郷隆盛が登場する日本開国から始まる明治維新の時代であった。

その頃、この靖国神社が創建された。

第二次世界大戦まで植民地は画期的な意義をもったが、列強各国の植民地戦略を終焉させた。

日本も専守防衛、国民の人権を守るとして、富国強兵を旗印に多くの戦争を繰り返してきたが、大東亜戦争へと向かってしまい敗戦した。

靖国は国の号令の元、戦死したら軍神と奉り、若者を戦争に駆り立てるためにあった時代もあった。
また、二度と不幸な戦争はしない、子々孫々まで平和であってほしいと願う。
この二義的なものもある。

ともかく、国や家、妻子のためと亡くなった方々に、合掌

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