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有賀泰治ブログ

6月の経営方針共有勉強会 スタート

初日ですが少人数です。
早朝は四回開催しますので、それぞれ勤務日などに合わせて、参加しています。

全員社員参加が原則です。

 

経営方針共有勉強会

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平成22年6月1日

1、『不要不急の営業』人間関係築く

ある呉服店がかつて飛び込み営業をしていた頃の子と。
営業先に成人式を迎えた娘さんのいる女性の見込み客がいた。仮にHさんとしておこう。
店主は当時、Hさん宅を何度か訪問し、人間関係を育むためニューズレター(以下NL)も毎月送っていた。
しかし、反応はかんばしくなく、Hさんは「まったく着物には興味はない」と言う。元来着物への愛着とこだわりをもって商売をしている店主は、この方とは価値観が合わないのではと思い始め、ついには訪問やNLの送付をやめて、店の名簿からも削除した。
そらから五、六年経ったある日、店に突然Hさんから電話がかかってきた。
「Hですがご無沙汰しています。覚えていますか?」と彼女は言う。
これに続いた言葉は意外なものだった。
「以前来て下さっている時は用事がなかったのですが、娘のお嫁入りが決まったので、着物を用意していただけますか?」。
その後Hさんは娘さんを連れ立って来店し、さらには他の着物のシミ抜きや仕立て直しなどありがたい商いにつながった。
商談が終わりお茶を飲んでいる時、店主は勇気をだして気になっていたことをきいてみた。なぜ自店に電話してくれたのか、と。
「そちらのチラシを家に置いてあったのです。何か用事があるときは電話しようと思って」
このエピソードかわはさまざまな学びがある。言葉を借りれば、まず価値観が違うという判断は早合点で間違っていた、ということ。NLや訪問を通じて自店のことは理解していてくれたのに、当時はただ用事がないだけだったのだ。そして、必要でないときは営業よりも人間関係の構築に努めるべき、ということがわかる。彼も大いに反省した。
『商いとは目先のものではなく、育むものである』
オラクルひと・しくみ研究所
小阪裕司

2、「商いは“始末”が大事」
幼い頃、父と一緒に行った近所の風呂屋で、こんな話をしてもらったことがありました。

「新しい手拭いで顔を洗ったら気持ちええやろ。でも汚れて薄くなったからと言って、すぐに捨てたらあかん。 折り畳んで縫えば、雑巾になる。

その雑巾がボロボロになったら、干して機械の油拭きにすればいい。その油拭きは火にくべるとよく燃えるから、風呂を炊く時に使えばいい。

そこまで使い切ってやっとお終いや。だから新品を下ろす時には、ほんまにいま、それを下ろさんとあかんのかをよぉく考えなさい。
新品を下ろす時が『始まり』で、捨てる時が『終わり(末)』。
だから『始末』と言うのや。この始末をしっかりするかせんかで、大きな違いが出てくる。

この時は洗い場の曇った鏡に指で、ある時は火鉢の灰に火箸で字を書くなど、父はその時その場に応じた分かりやすい例え話を用いながら、商いの心得を聞かせてくれたのでした。

『致知』2009年10月号
「三百年続く老舗の訓え」の中から、
京都で麩屋を営む半兵衛麩(1689年創業)
玉置辰次(半兵衛麩第11代当主・会長)

3、“真剣”だと“智慧”が出る。
“中途半端”だと“愚痴”が出る。
“いい加減”だと“言い訳”ばかりが出る。

「今の若者は恵まれ過ぎているのかもしれません。なにくそ負けるもんかという強い氣持ちが必要な時代です。これは人生も企業経営も同じではないでしょうか」
(内山力夫氏談)

4、「イチロー選手の目標設定術」
オリックスで打撃投手を務めていた頃、不調に陥った選手に

「投げましょうか?」

と声を掛けると、ほとんどの場合、
「頼む」
と答えが返ってきた。
練習することによって、少しでも不安を取り除きたいと思うのが人情というものだろう。そんな中、私の申し出に一人だけ首を振った選手がいた。
当時二十歳だったイチロー選手である。試合後にその理由を尋ねてみたところ、彼は
「僕はこんな心境で試合に臨みたいんです」
と言う。
「どんなに好きな野球でも、毎日続けていると、もう疲れた、きょうは嫌だなと思う時ってないですか?そうなっては、自分の能力って絶対に発揮できないですよ。バットが持ちたくて持ちたくてしょうがない。そういう心境で、僕は試合に臨みたいんです」

そして彼はこう後を続けた。
「初めてお父さんとキャッチボールした時、どんな気持ちになりましたか? またやりたいなと思ったでしょ。その気持ちなんですよ。そういう気持ちが自分でしっかりつくれれば、絶対に技術って向上していくと思いますよ」

イチロー選手のプロ入り三年目の年、彼の専属打撃投手となった私は、寮生活で一年間寝食をともにし、多くのことを教わった。

* *

彼と初めて出会ったのは、私が二十歳、彼が十九歳の時だった。

初めてそのバッティングを見た時、年下にこんなに凄い選手がいるのかと舌を巻いたが、最も驚いたのは、彼が一軍に上がってきてからのことだった。

キャンプ期間中、二軍でプレーしていたイチロー選手は、夕方に練習を終えると、早々に眠りに就いた。そして皆が寝静まる深夜にこっそり部屋を出ると、室内練習場で数時間の特打ちをするのを日課としていた。

ところがシーズンが始まり、一軍入りを果たした彼は、全くと言ってよいほど練習をしなくなってしまったのである。不思議に思って尋ねてみたところ

「体が疲れ過ぎるとバットが振れなくなるから」

とのことだった。
一軍でまだ何の実績もない選手が、自分のいまやるべきことは何かをちゃんと理解して行動している。

私の知り合いにもプロ入りした者が数名いたが、彼の取る行動や言葉のすべては、他とは一線を画すものだった。

例えばこんな調子である。

「奥村さん。“目標”って高くし過ぎると絶対にダメなんですよね。必死に頑張っても、その目標に届かなければどうなりますか? 諦めたり、挫折感を味わうでしょう。それは、目標の設定ミスなんです。頑張れば何とか手が届くところに目標を設定すればずっと諦めないでいられる。そういう設定の仕方が一番大事だと僕は思います」

二軍時代のイチロー選手は、マシン相手に数時間の打撃練習をしていたが、普通の選手に同じことをやれと言っても、それだけの時間、集中してスイングすることはできない。

それがなぜ彼には可能なのかといえば、私はこの「目標設定の仕方」にあるのではないかという気がする。

イチロー選手には自分にとっての明確な目標があり、その日にクリアしなければならない課題がある。

その手応えをしっかりと自分で掴むまで、時間には関係なくやり続けるという練習のスタイルなのだ。

私が彼の基盤として考えるもう一つの要素は、継続する力、つまりルーティンをいかに大切にしているかということである。

ある時、イチロー選手にこんな質問をしたことがあった。

「いままでに、これだけはやったな、と言える練習はある?」

彼の答えはこうだった。

「僕は高校生活の三年間、一日にたった十分ですが、寝る前に必ず素振りをしました。その十分の素振りを一年三百六十五日、三年間続けました。これが誰よりもやった練習です」

私は現在、少年野球チームの監督を務めているが、それと比して考えてみると、彼の資質がいかに特異なものであるかがよく分かる。

例えば野球の上手な子にアドバイスをすると、何をやってもすぐできるようになる。下手な子はなかなか思うようにいかない。

ところが、できるようになったうまい子が、いつの間にかその練習をやめてしまうのに対し、下手な子は粘り強くそれを続け、いつかはできるようになる。

そして継続することの大切さを知っている彼らは、できるようになった後もなお練習を続けるため、結局は前者よりも力をつけることが多いのである。

その点、イチロー選手は卓越したセンスを持ちながらも、野球の下手な子と同じようなメンタリティを持ち、ひたすら継続を重ねる。私はこれこそが、彼の最大の力になっている源ではないかと思う。

二〇〇〇年に結成した私の少年野球チームは当時九名の部員だったが、現在百名を越える数になり、その中から多くの甲子園球児が生まれていった。現在、プロで活躍している田中将大投手もその一人である。

彼らには自分がイチロー選手から学んだことを折に触れては話し、野球に取り組む姿勢としてそれを生かしてほしいと伝えてきた。

自分で目標を持ち、それに向けての継続を怠らなければ、必ず次の段階へと自分を
押し上げていくことができる。

そしてそれは、人生を生き抜く力にも繋がっていることを、野球を通して伝えていければと考えている。
奥村幸治(NPO法人ベースボールスピリッツ理事長、宝塚ボーイズ監督)
『致知』2010年6月号「致知随想」

5、「自立型人間の誓い!」

自立型人間は、
・自分の生活の安定と将来性を他人や会社に期待しません。
自分の人生は、自分で考え自分で創ります。
すべてが自分の責任であることを知っているからです。
自立型人間は、
・自分の可能性を最大限に発揮します。
時代の変化は自立型人間にとって活躍の舞台です。
様々な社会の問題は、自分を活かすチャンスであることを知っているからです。
自立型人間は、
・自分自身を信じ、今できることから全力で取り組みます。
今できる小さなこと、それが社会全体を変えていくきっかけであることを知っているからです。
自立型人間は、
・できない言い訳はしません。
やると決めたらどうしたらできるか、だけを毎日考えます。
それが不可能を可能にする秘訣であることを知っているからです。
自立型人間は、
・目標を決して諦めません。
弱音を吐かず、失敗を糧(かて)にし、どんなに厳しい状況でも乗り越えて
いきます。苦しい時ほど、自分が成長していることを知っているからです。
自立型人間は、
・社会や他人のために、自分が、何が出きるかをいつも考えています。
報酬はどれだけの価値、感動を相手に与えられたかの結果であることを知っているからです。
自立型人間は、
・楽な人生よりも、充実した人生を選びます。
いつも明るく輝いて、生きている喜びを実感しています。

エライ人の言葉:
『人間を目標に向かわせるパワーは、「自分はそれを達成できる」という信念から生まれます。 疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です』

今回の元氣のでるニュースを読まれた方全員がこの誓いを心から立てられたら嬉しい限りです。
私自身も「自立型人間の誓い」を立てます。

6、縁を生かす秘訣
思い起こすのは、宗派は違いますけれども、臨済宗妙心寺派の管長をされた山田無文(むもん)さんです。

この方は若い頃に粗食に耐えながら厳しい修行をして、肺結核になってしまいました。

いい薬もない時代でしたから、故郷に帰って静養に当たることになりました。

無文さんが縁側にたたずんでいた時、風鈴が鳴ったんですね。

風鈴はなぜ鳴るのか。風が吹いたからだ。風とは空氣が動いたんだ。
そうか、空氣さんがあったのかと、その時心から空氣に感謝したといわれます。

そうして、
「考えてみれば、寝ている時でもいつも空氣が包んでくれておった。その空氣さんに自分は一度も感謝しなかった。空氣さん、ありがとう」
と深い深い感謝の念を持たれたところ、その日を境に見る見る回復して、最終的には90歳近くまで長生きをされました。

おそらく深い感謝の念によって免疫力が上がったのではないかと思うのですが、それも風鈴の音という、本当にわずかな縁を自分のプラスにされた。

絶えず何かを求め続けることが縁を生かすことに繋がっていくのかと思います。

月刊『致知』(ちち)掲載のものです。
6月号では、薬師寺長老の安田暎胤(えいいん)師が、についてお話しになっています。

7、「一秒の言葉」の話です。

来店してくださる65歳くらいの品の良い女性客です。そんなお客様に、「一秒の言葉」の詩を印刷した用紙を
「なかなか味わいのある詩ですがいかがですか!」と手渡しました。
お客様は受取った用紙に目を落として、しばらくしてから
「わたし、この詩の中にある『さようなら』に感銘を受けたわ」とちょっと涙っぽくおっしゃったのです。
「何かありましたか?」とお聴きしました。
「実は89歳になる私の母が市内に住んでいるのです」
「その母に会いたくて時々実家に里帰りしているの」
「そんな母が私と別れる時にいつも『おまえとはこれが最期になるかもしれないから、さようなら』と言われてきていたの」

「いつもそう言われて何か縁起でもないと思い『なに変なこと言っているの』と内心反発していたの」
「でもこの『一秒の言葉』の中にある『さようなら』を見て母親の心情(これっきりで二度と会えないかも知れないから、元氣な内にお別れの挨拶を済ませておきたいという氣持ち)を有難く思えたの」

「さようなら」
この一秒ほどの短い言葉が、一生の別れになるときがある。

そのお客様は母親の大きな大きな愛情を感じたのでした。
89歳のお母様のさらなる長寿をお祈りしたくなりました。

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