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有賀泰治ブログ

12月の経営方針共有勉強会がスタート

中途採用では有りますが新人の内田 公二さんが初参加(右側)

F・H・A豊科本社に勤務の予定です。

皆さん、宜しくお願い申しあげます。

今月の経営方針共有勉強会 資料です。

経営方針共有勉強会 12月
平成21年11月30日
有賀 泰治

1、死ぬときに後悔すること 25 から・・・

もちろん死期が迫れば、多くの人間は「ただ生きること」、その素晴らしさを悟るようになる。けれども、ただ長生きすること、ただ健康であること、それが人が生きる最高の「目的」とは思わない。長生きや健康は、自分の夢や希望をかなえる「手段」である。・・・・・・


『鈴の鳴る道』星野富弘氏の著書に、車椅子に乗って生活をすること、道がでこぼこだらけに気が付くという話がある。
段差に滅入ってしまうのが、車椅子に鈴をつけてでこぼこを通るたびに「チリーン」と鳴るようにしたところ、心持ちが変わった、そういう話である。
――― 心にしみるような澄んだ音色だった。(略)その日から、道のでこぼこを通るのが楽しみとなったのである。(略)“人も昔、この鈴のようなものを、心の中に授かっているのではないだろうか”その鈴は、整えられた平らな道を歩いていたのでは鳴ることがなく、人生のでこぼこ道にさしかかった時、揺れて鳴る鈴である。美しく鳴らしつづける人もいるだろうし、閉ざした心の奥に、押さえこんでしまっている人もいるだろう。私の心の中にも、小さな鈴があると思う。その鈴が、澄んだ音色で歌い、キラキラと輝くような毎日が送れたらと思う。私の行く先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに進もうと思う。・・・・・・・


本来自分のことが一番好きであるはずの人間が、他者を己より大切に思うとき、本当の愛が生まれるのだと思う。しかし、相手が私に何をしてくれるか、そればかり求めてしまっては、それは自己愛の投影であって、本当の恋愛とは言えないのではあるまいか。・・・・・

大津秀一

2、“すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる”
少年期のモネは学校に通い、そこでダヴィッド(ナポレオンの肖像画を描いた宮廷画家)の弟子であった教師と出会いデッサンを学ぶ。モネは手先が器用であったようで戯画(ぎが)を子供の作品とは思えぬほど上手く描いた。新聞の風刺画などに掲載され、町でちょっとした人気者になる。
それらの風刺画を見たが、子供がえがいたにしては上手いが、つまらない絵というか、絵にもならなかった。
それから、十八歳の時、画家ウジェーヌ・ブーダンに出会う。
人が生きる示晙を与えられたり、才能を開花させるのはほとんどが“人との出逢い”である。それも慈悲に満ちた人である場合が多い。
ブータンはモネの画家としての才能を見抜き、風景画を描くことを勧める。ブータンはモネを連れて戸外に創作に出かけ、ともに風景画を描いている。このときおそらく、風刺画を描くより、きちんと絵画を学んで才能を使うことを少年に教えたのだろう。
創作の実践として、戸外に出て自然の光を描くことは、この時代にはじまり、培われたと言っていい。
この取材を通して話は変わるが興味ある出逢いがあった。
工学博士の谷村豊太郎氏が大学で基本理論を教える方針に“すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる”
モネとブータンの出逢いは、子供の描いた風刺画はすぐに誉められ、小遣い稼ぎにもなる。しかしそれはすぐに失せてしまう。モネは出逢い以降、戸外に出て自然を描くことを三十年余り、貧乏の中で続けた。
ここが普通の人と違うところだ。

フランス印象派を代表する画家、クロード・モネの取材より
伊集院 静

3、「寒風に立て」(男の修行)

苦しいこともあるだろう
云いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえて行くのが
男の修行である
山本五十六
(大日本帝国海軍元帥)

4、努力できることが才能である

夢は大空へ、努力は足元に

小学校三年生のときに父親が貼ってくれた言葉です。
いまでもこの言葉を胸に秘めてがんばっています。
松井秀喜(メジャーリーガー)
書名:「コトバのチカラ」
日本民間放送連盟、ラジオ委員会編、PHP文庫

5 赤い花は赤く咲け
白い花は白く咲け

「コトバのチカラ」(PHP文庫)の中にある「コトバのチカラ」です。
松井秀喜さんの「コトバのチカラ」に続くその2です。

この言葉をいただいたのは、中学に入学してしばらく経った頃のことでした。
私には三歳年上の姉がいて、私と違って成績も良く、活動的で、生徒会長や部活動の部長も務める自慢の姉でした。
それが中学に入学したとたん、そうした姉の妹として期待されたのか、「○○ちゃんの妹なのにね」と姉を知っている先生方にいわれ、家でもテストの結果が出れば「お姉ちゃんは二十番から落ちたことないのに」と落胆され、それまで活発だった私が日に日に口数も減り、内向的になってしまうほどでした。
そんなある日、姉を三年間担任していた先生に突然呼び止められました。
それまで挨拶しか交わしたことがないのに、「今年で先生辞めることになったの。これが先生として最後の作品なの、もらってくれる?」と色紙を渡されました。
国語を担当している先生で、書道部の顧問も務めておられました。
そこには、とてもきれいな文字で「赤い花は赤く咲け 白い花は白く咲け」と書かれていました。
そして、端に小さく「ありのままに生きる姿は何よりも美しい。自然に、素直に。生き生きと」と。
ずーっと無理していた私は、職員室の中にもかかわらずボロボロ泣き出してしまいました。
思っていたより、こんなに傷ついていたんだと、自分でも驚きながら、溢れてくる涙を止められませんでした。優しくなでてくれた先生の手の温かさと一緒に、その言葉は三十歳になった今も忘れることのできない宝物です。
その日を境に氣持ちが楽になり、以前のように明るさを取り戻すことができました。
その先生はもう他界されたと人づてに聞きましたが、昨年生まれた娘に「ありのままに、生き生きと」と言う意味で、信じての真に生きるで「真生(まお)」と名附けました。

新関里江(山形県 30歳)

6、先賢が教えてくれているーーー
愚はよく他の欠点を挙げるが、
自己の欠点を知らない

話はうまいが、行いはつまらぬ。

若い時はうかうかして過ぎ、
壮時(そうじ)にはせかせか働き廻(まわ)り、
老年には愚痴(ぐち)ばかりになり易い。

正に、敗事は多く得意の時に因(よ)り
成功はつねに苦辛の日に在る。

やはり平生(へいぜい)能(よ)く道を聞くことだ。

『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

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