fbpx

有賀泰治ブログ

2018年 経営方針共有勉強会

経営方針共有勉強会 1月

 

《 人財 》

今月のテーマを《人財》としました。

企業は人なり、と言われます。社員一人一人の働きが企業の今、将来を左右し決定していきます。この共有勉強会もその社員の成長を願い創業より数年たってから初めています。しかし、他人は自分の思うようには変えることはできません。

社員の成長を願い、まずは自らが成長していかねばと2018年冒頭に思いを馳せます。

2018年1月1日

有賀泰治

 

 

1、時を重ね、人の成長する場は様々だ、人と触れ合い、経験を重ね、愛情も育まれる。そんな未来を担う宝が人財となる。

 

東日本大震災で大きな被害を受けた漁業の町。復興した5年、10年後に中核となるのは、今の小・中学生の世代だ。子供たちに「どんな町にしたいですか?」と町がアンケートを行った。

「ショッピングモールがほしい」「ゲームセンターが欲しい」・・・正直な意見かもしれない。しかし、漁村としての長い歴史のある町には、そぐわない印象もある。大人たちは頭を抱えた。「テレビで見る大都会に親しみを覚え、地元にあまり触れる機会がないのかも」「自分たちの仕事“ 漁業 ” のこと、あまり話してこなかったな」

ちょうど、仮設住宅に住む人たちに、震災直後の暮らし向きの変化を聞く調査の予定がある。子供たちに担当してもらいたい、地元の人たちとの交流を図ろう、と考えた。

後日開かれた調査報告会。「漁師になりたい」「この町の歴史を誇りに思う!」発言する子供たちの姿に、聴衆から大きな拍手。号泣する人も多かった。調査を通して、子供たちは一回り大きくなっていた。

 

2、崇高な信念に生きる人とは、絶えず自己改革に努める人。足元から新たな挑戦を開始したい!

 

松尾芭蕉の徘徊(はいかい)理念に「不易流行」がある。

「不易」は時代を超えても変わらないもの、「流行」はその時代に変化していくもの。この二つは相反する概念のように思えるが、芭蕉は、根本は一つであると考えた。

弟子の向井去来(きょらい)が、芭蕉の俳諧の心構えを『去来抄』にまとめている。そこに「不易を知らざれば基がたちがたく、流行を知らざれば風(ふう)新(あらた)たならず」とある。すなわち、普遍的な真理を知らなければ基礎は築けない。しかし、基礎を知っていても、時代の変化を知り、革新していかなければ進歩はない、と。芭蕉は常に新しさを求めて不断に変化する中で、不変の “ 永遠性 ” は確立されると提唱したのだ。

変わってはならないもの・・・家庭、職場、地域社会にはそれぞれ理念や精神がある。それを基軸に、時代の変化や地域の実情に応じて、平和・文化・教育を展開する。一人一人の異なる心模様に応じた智恵を沸かせて、行動に徹する精神を脈動させる。

 

3、人材育成は、どこまでも、地道な労働作業の積み重ね。力のある人材は我が社にも必ずいる。

 

68,000人の従業員を擁する世界のスポーツ用品メーカー「ナイキ」。創業者フィル・ナイト氏の自伝(『SHOE DOG』東洋経済新報)を一気に読んだ。

氏の日本との縁は深い。ビジネスの始まりは “ 日本製のランニングシューズをアメリカで販売すること ” 。何度も日本に来て交渉を積み重ね、販売権を得たという。

その後、自社ブランド「ナイキ」を立ち上げるが、事業は低迷。状況を打開するため 、ふたたび相談した相手も、日本の経営者だった。ある時、氏が彼の前で“ 人材不足 ” と愚痴をこぼした。すると彼は外を指差し、“ あの竹が見えますか ” と聞く。そして “ 次に来るときは1フィート伸びていますよ ” と。その一言に、氏は “ 今いる社員を粘り強く育てよう ” と決意。その後、氏の元から今日の発展を支える人材が陸続(りくぞく)と生まれた。

いかなる組織・団体もその盛衰は「人材」で決まる。とはいえ、目先の結果に目を奪われ、育成を焦ってはならない。粘り強く関わりを続ける中で、本物の人材は育つ。

 

4、「隗より始めよ」

 

肥後「鳳凰」とうたわれたのは熊本藩主 細川 重賢(しげたか)。画期的な財政改革を成し遂げ、米沢の鷹山(ようざん)・上杉治憲(はるのり)、紀州の麒麟・徳川治貞(はるさだ)らと共に、江戸中期屈指の名君とされる。

重賢の改革は「隗より始めよ」との格言を合言葉に進められた。

中国の戦国時代、人材を求める燕の王に対し、郭(かく)隗(がい)が “ まず私のような凡庸(ぼんよう)な者を用いれば、これを伝え聞いた優秀な人材が、自然と集まるでしょう ” と語った故事にちなんだ言葉だ。

重賢の評伝を読むと、この名言について、重賢の側近が「真意はむしろ逆のように思われまする」と言っている。「人材はいつ、いかなるところにも、実はいるということです。要は、それを見出す人物、登用する者が、あるかないかにかかっているだけのこと・・・」(加来耕三著『非常の才』)。それぞれの長所を生かした人材登用から、改革は大きく動き出した。

人材の糾合(きゅうごう)は、つまるところ、問われるのはリーダーの覚悟。「皆が人材」「皆が宝」

 

5、人は人の中で育つ

家族だけでなく、学校、会社の中で苦楽を共にすることで、頼もしい後継者が育つ。

 

江戸時代、「天下の台所」と呼ばれた大阪。中でも船場は、老舗が甍(いらか)を争う商都の中心だった。「鴻池」「住友」「武田」など、今でも歴を刻む企業も多い。

船場の老舗は「のれん」を重んじた。「のれんを継ぐ」「のれんを守る」・・・のれんは、守り継ぐべき「品格」「歴史」の象徴であった。

「のれんを守る」ため、多くの商家が採ったユニークな仕組みがある。「里子」と「お乳母どん」(おんぼどん)である。「里子」とは、後継を文字通り「里」、すなわち田舎の農家に10歳くらいまで預けること。「里子」が無理な場合は「お乳母どん」、商家に女性が住み込み、10歳くらいまで育ての親になってもらうのである。「石津乳母」(いしづうば)という言葉があった。堺の小さな半農半漁の村だった石津から来た女性が、最適の育ての親といわれた。

農家を手伝い、額に汗して働く。育ての親から漁家の苦労を聞く。そうして、商家とは全く違う生業の大事さを知る。裕福とはいえない人生の日々の苦労を知る。その経験が、「のれん」を守り継ぐ者に必須の条件とされてきたのである。

人は人の中で育つ。

 

6、人材育成の炎

 

2014年8月22日 広島カープの本拠地マツダスタジアムでその年の広島土砂災害後、初となる試合が行われた。完璧なピッチングを見せた前田健太投手をはじめ、被災地のファンに勇気を届けたいとの選手の気迫が伝わった試合は今も語り継がれている。

球団創設は原爆投下から4年後の1949年(昭和24年)の秋。戦前から広島商や広陵など高校野球の名門を擁した野球どころの市民にとって、プロ野球チームの誕生は壊滅的な破壊から立ち上がる何よりの希望となった。

ただし、他球団のような強固な財政基盤を持たない市民球団ゆえの苦労は続き、球団前にカンパを募る「樽募金」が置かれた時代もある。戦力補強もままならなかったが、だからこそ、才能豊かな若い選手をスカウトして、名選手に鍛え上げる人材育成が球団の伝統となり、魅力にもなっている。

1975年(昭和50年)帽子とヘルメットを紺から赤に変え、「赤ヘル」旋風を巻き起こし、初のリーグ優勝を飾った。赤は「戦う色」。苦難に屈しない広島の負けじ魂の色だ。

広島の復興と歩みを共にしてきた『市民球団』カープには、どこにも負けない郷土愛と不屈の闘魂が真っ赤に燃えている。赤い炎が、心から心へと広がっているのだろう。

 

7、人材育成は百年の計

 

2013年NHKの大河ドラマ「八重の桜」。舞台は戊辰戦争屈指の激戦・会津戦争から、明治維新の動乱期へ移る。

新政府軍に敗れた会津藩は「逆賊」呼ばれ、苦難の運命をたどる。だが、維新後も有為な人材を社会に多く送り出し、存在感を示し続けた。藩政の中核を担った山本覚馬(かくま)は維新後、京都府顧問となって文明開化の諸施策を推進。白虎隊士だった山川健次郎は、東京帝国大学(現・東京大学)の総長に、他にも医療、文学、経済、外交など、多くの分野で旧会津藩士が活躍した。

なぜ、これほどの人材が輩出したのか。彼らは皆、藩校「日新館」の出身だった。かつて、大飢饉からの復興事業の要として、一藩士が創設を建言(けんげん)。彼らには信念があった。「教育は百年の計にして藩の興隆は人材の育成にあり」と治乱興亡と毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)は世の常。しかし、魂を込めた「教育」「人材育成」の足跡は、時代の激流に翻弄されることはない。

負けて勝つ ・・・その会津の不屈の歴史は、まさに「百年の計」によって開かれたものだった。

一人の人材を育成する苦労には、百年、万年も未来を開く、遠大な意義と可能性がある。

 

8、信頼が団結を生み、団結が人材を育てる基となる

 

仕事の基本は報告・連絡・相談の “ホウレンソウ ” と言われる。報告・連絡は、スピードと正確さが生命線。悪い報告ほど早く。そして “ 知ったかぶり ” をせず、判断に迷うことは率直に相談することだ。

だがホウレンソウは、一方的に求めるだけでは成功しない。大事なのは “ 受ける側 ” の姿勢。どんなに忙しくてもいい、報告・相談に来た人と相対し、誠実に受け止める。 “ あなたの話を聞く以上に、今、重要なことはない ” と態度で示す。そうすれば、何でも報告・相談する “ 文化 ” が根付いていく。

人を育てるとは、責任を持つということである。そのためにも、 “ 何でも話したい ” と思われる人になりたい。

 

9、十人十色の人材育成

 

学校のテストで思うような点数が取れなくなり、自身を失いかけていた中学3年の女子生徒。使っていたテキストは、カラーのイラストや図表をふんだんに取り入れたものだった。助言を受け、教材を白黒の問題集に変えたら、あれよあれよという間に点数は高いレベルに戻った(鈴木正樹著『十人十色の子どもたち』)

耳で聞いて覚えるのは苦手でも、目で見て覚えるのは得意な人もいれば、その逆の人もいる。カラフルな教材を好む子もいれば、かえって勉強しづらくなる子も。説明の仕方や内容が “ 分かりやすい ” かどうかには、「相手にとって」前提が付く。

仏教の説話に “ 舎利(しゃり)弗(ほう)の過ち ” がある。

鍛冶屋に肉体の不浄を感じる修行を教え、洗濯を仕事とする者に呼吸を整える修行を教えてしまった。結果、2人は何も得ることがなく、不信を起こしてしまう。仏がそれぞれに逆の修行を教えると、2人はすぐさま悟りを得ることができた。

人材に “ 共通のシナリオ ” はない。“ この人を人材に育ててみせる ” と決意した人が、一人の幸福を祈り、関わっていくなかで書き上げていくものだ。相手を思う一念が知恵を生む。誠意を持って成長に力尽くして関わる人でありたい。

 

10、人生、自分の思うようにならないこともあるだろう。しかし、焦る必要はない。

「人が見ていよう見まいと、花は花である。泥の中にあろうと、金は金である」

本物はどこにあっても光るものだ。

 

「お笑い芸人の出川哲朗さんを見ると、どんな嫌なことがあっても吹っ飛びますね」との言葉を聞くことがあった。

「ヤバイよ、ヤバイよ」の決まり文句で、ザリガニのハサミで鼻を挟ませたり、言葉の通じない国で買い物をしたりするなど、体当たりでお笑いを届ける出川さん。今やバラエティー番組で欠かせない存在だ。

かつては “ 嫌われタレント ” と見られていたこともあったが、最近は “ 子供が尊敬する人物 ” に名前が挙がる。そんな彼を支えたモットーは「一生懸命、頑張っていれば、誰かが見ていてくれる。その言葉通り、どんなに大変な仕事も真正面から取り組んでいたという。

どこかで、必ず誰かが見ていてくれる・・・ささいなことのようだが、人知れず奮闘する人を、これほど鼓舞する確信はない。未来への希望を失わないたくましさがある。

 

11、人材の城

 

熊本城の大きな特徴の一つが、加藤清正が近江国から連れてきた石工集団に造らせたとされる「武者返しの石垣」

下部はゆるやかな傾斜だが、上に向かうごとに急になる独特の造り。裾は扇のように広がっているため容易に登れるように見えるが、上に行くほど反り返るため、現実には困難だ。

清正公が約6年かけて建てた城が “ 難攻不落の名城 ” であることが証明されたのは、築城270年を経た1877年の戊辰戦争。官軍が立てこもる熊本城を薩摩軍が3日にわたって総攻撃するも、一兵たりとも入ることができず、籠城戦は官軍の勝利に終わる。西郷隆盛が「わしは官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」と語った話が伝わっている。

熊本城は「人材の城」人材を持って城となす。

何より大事なのは威風堂々たる「人材の城」であり、人の成長であり、あなたの勝利だ。

 

12、子どもたちの尊い使命を信じ、育む大人でありたい。

 

デビュー10周年を迎えた “ 盲目のピアニスト ” 辻井伸行さん。彼の演奏は “ 色彩感にあふれている ” と評される。その要因の一つが、母・いつ子さんの関わり方にあった。

息子さんは盲目・・・そう告げられた母は育児書を読みあさった。だが、そこには健常者の “ 見える世界 ” に適応させようとする記述ばかり。失望しかけた時、知人の視覚障害者から言われた。「生まれながらに『見えない』世界に生きる人にはその世界観があります」

“ 「適応」ではなく、この子らしく育てよう ” 。水の音、木のささやきなど、大自然の美しさを感動のままに伝えた。ある時、伸行さんが聞いてきた。「今日の風は何色なの?」。息子が豊かな彩りの世界にいることを教えられた。(『のぶカンタービレ』アスコム)

子供の可能性は計り知れない。一人残らず “ 伸びよう、成長しよう ” とする生命感が躍動しているからだ。それを支えるのが大人の責務。大人こそ “ できるはずがない ” と決めつけたり、諦めたりする心を排し、前向きな生命力で接していきたい。

 

13、人財

 

転換期の社会においては、従来の手法が通用しないことも多い。その中で、どう自ら革新し、価値を創造し続けていくか。あらゆる企業や団体が挑戦を続けている。

ある研究によると、イノベーティブ(革新的・創造的)な組織の特徴として、

① 明確な方向性と視座

② 人材の多様性を持っている

などが挙げられるという。

①は要するに「自分たちは何を目指しているのか」という根本目的が明確であるということだ。そうでないと組織の維持、存続が目的となりかねず、構成員の能動性も引き出せない。

②は、多様な考え方が合わさることで新しいアイデアが生まれることを示す。中でも若者など既成の概念に縛られない人が、イノベーションを起こす力になっているという。

単なる目標ではなく、「何のために」という行動や活動の意義や目的が明確になってこそ、一人一人の主体性は強まり、思いも深まっていく。若い世代など新しい感性を持った人の意見に耳を傾け、生かしていくことも重要だ。

「一人も残らず幸せに」「皆が人生の勝利者に」・・・この大目的へ向かって豊かな智慧を発揮して新しい年としていきたい。

 

14、今月の言葉

 

人生の主人公

人生で大事なことは、自分を主語にして生きること

・・・・・福島智(盲ろうの東京大学教授)
チャレンジ

歴史が大きく変わる時には、 チャレンジをしなければいけない

・・・・・澤田秀雄(エイチ・アイ・エス会長)
尊い自己を持つ

望ましい人生とは失敗や迷いのない人生ではなく、 どんな困難にあっても、せめて自分を欺かずに、 誠実に自己を大切に生きていく人生である。 何もかも知りつくしている自己の前に、 ひれ伏せるような尊い自己を持つ人生である

・・・・・平澤興(京都大学元総長)
徹底したプラス思考

プラス思考ができない人間はいい知恵は生まれないし、 いい人との出逢いもない

・・・・・樋口武男(大和ハウス工業会長・CEO)
人を残す

金を残して死ぬものは下だ。 仕事を残して死ぬものは中だ。 人を残して死ぬものは上だ

・・・・・後藤新平(政治家/日本の偉人)
自反尽己

僕はな、物事がうまくいった時にはいつも皆のおかげと考えた。 うまくいかなかった時はすべて自分に原因があると思っとった

・・・・・松下幸之助(経営の神様)
どうなりたいか

大切なのは、「どこに行きたいか」「どうなりたいか」が明確であること

・・・・・中川政七(中川政七商店社長 十三代)
この人のためなら

この人のためなら死んでもいいという人に出逢えることは最高の幸せ

・・・・・村上和雄(筑波大学名誉教授)
夢を持つ

人生に夢があるのではなく、夢が人生をつくるのだ

・・・・・川端克宜(アース製薬社長)
よき人生

すべては一日の積み重ね、きょう一日を大切に生きる

・・・・・酒井雄哉(千日回峰行満行者)

 

真剣さと相棒

物事を研究する秘訣は、相棒を見つけることだ。 相棒は人間でも書物でもよい。 自分が真剣になりさえすれば必ず見つかる

・・・・・安岡正篤(東洋思想家)

 

育つ時

何かに向かって努力をしている時に人は育つ

・・・・・梅島みよ(マネジメントサービスセンター顧問/93歳)
人物を探ねる

出来るだけ勝れた人物を探ねて 切磋琢磨することが、 一番確かに自己を造る

・・・・・安岡正篤(東洋思想家)
人生をよりよく

どんなささいなことでも、どうしたら人が喜び、どうしたら人が幸せになるのかというふうに考えて行動していくことが、皆さんのこれからの人生をどんどんよくしていく

・・・・・鍵山秀三郎(日本を美しくする会相談役)
自らを省みる

一日が終わるときに、今日を振り返り、「利己的な振る舞いがなかったか」、「卑怯な振る舞いがなかったか」という反省を怠ってはならない。このことを通じて魂は徐々に磨かれていく

・・・・・稲盛和夫(京セラ名誉会長)
魂を磨く

人のために苦しいことや難しいことにチャレンジすることで、魂は磨かれていく

・・・・・近藤典彦(会宝産業会長/静脈産業のパイオニア)

 

成長と素直

人の成長はその人の素直さに比例する

・・・・・国分秀男(古川商業高等学校女子バレーボール部元監督)
素直に信じる

一所懸命やっていたら必ずいいことが起こる。それを素直に信じてきた

・・・・・比屋根毅(エーデルワイス代表取締役会長)

 

ブログ一覧へ

カテゴリー

    最近の投稿

    有賀泰治ブログ
    月別アーカイブ

    - サービスメニュー -