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有賀泰治ブログ

4月 経営方針共有勉強会 スタート

新入社員も加わり4月の経営方針共有勉強会です。

今月は雑誌 『到知』から《運と徳》について勉強しました。

経営方針共有勉強会 4月

 

《 運と徳 》

2019年4月1日

有賀泰治

 

1、運と徳

・・・・・到知より

古典に教えがある。「皇天(こうてん)は親(しん)なし。ただ徳をこれ輔(たす)く」—–天は人を選んで親しくしたりしない。ただ徳のある人を助ける、と『書(しょ)経(きょう)』にある。

『老子』も同じことをいう。

「天道(てんどう)は親なし。常に善人に与(くみ)す」

東洋の古典は一致して運と徳は相関している、と説いている。その人が持っている、あるいは培ってきた徳分に応じて、人はそれにふさわしい運命に出逢っていく、と教えている。

ではどうすれば徳を高くすることができるのか。そこに至る道程をズバリ示した言葉が『論語』にある。

「事を先にし、得(う)るを後にするは徳を崇(たか)くするに非(あら)ずや。その悪を改めて人の悪を攻むることなきは慝(とく)を修(おさ)むるに非ずや」

まずやるべきことをやる。それによってどんな報酬があるかを考えるのは後回しにする。それが徳を高めることになる。自分のよくないところを改めて、人のよくないところは攻めない。それが自分の中に潜んでいる悪を改めていくことになる、というのである。拳(けん)拳(けん)服膺(ふくよう)したい言葉である。

徳を修める上での大事な心得を『易経』も説いている。

「身に反(かえ)りて徳を修む」—- 困難に遭う。失敗する。そういう時は自分に原因がないかを反省する。それが徳を修めることになるという。松下幸之助氏はこの言葉を生涯実践した人である。氏はいう。

「僕は物事がうまくいった時は皆のおかげ、うまくいかなたった時はすべて自分の責任と思っていた」

この言葉の実践反復から氏の徳は生まれ、高まっていったのだ。

徳を高めるには徳を損なう道があることも知っておかなければならない。『孟子』の言葉に耳を傾けたい。

「自ら暴(そこな)う者はともに言うあるべからざるなり。

自ら棄(す)つる者はともに為(な)すあるべからざるなり」

自ら暴う者はやけくそになる者。自ら棄つる者は捨て鉢になる者。そのような者とは共に語り、為すことはできないというのだ。自暴自棄になる時、運命は坂道を転げ落ちるように悪くなる。心したい。

 

2、磨(ま)すれども 燐(うすろ)がず

・・・・・栗山英樹氏・隈 研吾氏との対談より

 

⑴、栗山英樹氏(東京学芸大・ヤクルトスワローズ・北海道日本ハムファイターズ監督)

1)、病気に苦しんだこそ野球の喜びが分かる。

中学の一時期バレーボールに打ち込んだ時期もありましたが、体を壊してもともとやりたかった野球に転向しました。その頃、僕にとっての憧れは3つ年上の東海大学相模高校の原辰徳選手でした。中学三年生の時同校のセレクションに応募して「セレクション生か、頑張れよ」と言ってもらった時のオーラ、かっこよさはいまだに忘れませんね。しかし、父親の説得で、「学問とスポーツは両立しなくてはいけない」という考えでしたので、強豪校には進学せず、教員を目指して東京学芸大学に進みました。

それなのに野球選手に!

大学を卒業するときに、どうしても野球を諦められないという思いが強くて、無謀にもプロテストを受けて合格し、ヤクルトに入団したんです。野球が好きというただそれだけの理由で猛進したわけですが、「もし実力が分かっていたら、絶対にテストを受けなかったはずだ」と同級生などからは随分とからかわれましたね!

実際、ヤクルトの選手時代は、病気続きで自分でも納得する成績は出せないまま、29歳で引退することになりました。

プロに入って大変な目眩に苦しめられるようになったんですね。いまならメニエール病とすぐ診断されたんでしょうが、当時は原因が分からないまま毎日、何時間もこの症状に苦しめられる状態でした。まるで波打ち際にいるよに床が揺れ、頭はフラフラで目は泳ぎっ放しです。遂には立っていることすらままならなくなり、それが引退の大きな理由となりました。

しかし、この病気に苦しんだことによって野球ができることのありがたさや喜び、好きなことができる感謝の心が自分の中に芽生え、それがいまに繋がったことも確かなんです。

僕には監督として「野球ができるって、こんなに嬉しいことはない」という思いを伝えたい気持ちでいっぱいです。

残念ながら選手として活動を続けることは諦めましたが、それまでとは違う野球との関わり方があるんじゃないかと思って、引退後の21年間、野球解説などマスコミ関係の仕事を主にやらせていただきました。その頃は監督がやれるだけの力をつけようと勉強は続けていましたが、まさか本当に監督を務めることになるなんて思ってもみなかったんです。

2012年、ファイターズからそういうチャンスをいただいた時は本当に驚きました。自分で言うのもおかしいんですけど、僕に監督を頼む勇気は僕にはありませんね。だからこそ僕を引っ張ってくださった球団には、心から感謝しているんです。

 

2)、苦しい時、人間は二つに分かれる。

人生の大変な時期にどういう生き方をするか、それがすべてだということでしょね。

僕は現役の選手時代、一人前になりたいという気持ちがとても強かったのですが、成功できないまま29歳で引退しました。選手として才能が発揮できなかった分、その後は野球解説などマスコミの仕事にがむしゃらに打ち込むようになったんです。

最期の3年間、「熱闘甲子園」という番組を担当した時も、とにかく必死でした。この年になってなぜ高校球児たちに関わるのだろうという思いもありましたが、高校球児たちに敬語を使って取材する中で出会ったのが当時高校一年生だった大谷翔平であり、彼を育てた花巻東高校監督の佐々木洋さんだったんです。この縁がなかったら、彼はファイターズに来てくれなかったかもしれませんね。

僕は本当に野球が好きなので、北海道に自分で野球場をつくったりもしました。「何でそんなことをしているんですか」と揶揄されながらも、自ら種を蒔いて子供達のための天然芝の野球場を作りました。思わぬオファーが来たのも、そうやって必死になっている姿を神様が見ていてくださったからではないか、と思うことがあります。

考えてみれば、苦しい時にそれを不満に思うか、ありがたいと思って乗り越えるか。この二つの違いは実に大きいですね。

 

3)、「これほどまでの努力を人は運と言う」

僕が忘れられない出来事を一つ挙げるとしたら、やはり2016年、ソフトバンクホークスを大逆転しパ・リーグ優勝した時の試合でしょうか。

この時、ピッチャーの翔平を打撃の一番に起用するという、プロ野球の常識からはあり得ない選択をしたわけですが、ここで勝つのにはそれ以外にはありませんでした。「おまえがホームランを打って相手を0点に抑えたら勝ちよな」って冗談ぽく言ったんですが、彼はここ一番と言う大事な時には、何も言わないで「はい」とこちらの思いを飲み込んできてるんです。そして、本当に初球でホームランを打ってくれたんです。

これには僕も圧倒されました。「絶対に負けちゃいけない」と、このくらい強く思った試合は、他にはありませんでした。

野球はもともと運という要素が強くて、“打撃の神様”と言われた川上哲治さんも「これほどまでの努力を人は運と言う」との名言を残されていますが、何かを尽くしきることでしか運は自分に返ってこないのではないか、と僕は思っています。翔平はそれが最初からできる子でした。

 

4)、才能がないことが才能、才能がないから頑張れた。

僕は野球が大好きという思いが人一倍強かったからこそ、この道で粘り強く生きてこられたように思います。才能がないことが才能、才能がないからこそ頑張れる、努力するという感覚が僕の中には常にあって、いまでは才能なかったことが逆によかったとすら思っているんです。

僕は選手たちに野球選手として成功してほしいという願いを持っていますが、仮に野球選手として成功できなくても人として成功してほしいと強く願っているんです。やはり最後にはその人の人柄なんですね。人柄がいい選手は野球も勝手に伸びていく。人生も拓(ひら)けてくる。最近、とみにそう感じてくることが多くなりました。

 

5)、神様が味方してくれると思う瞬間がある

野球の場合は「運イコール人としての徳」という要素が強く、僕はそれをどのように選手たちに伝えていくかを日々考えているんです。

人生にも野球にも必死、それこそ神様に認めてもらえるくらいがむしゃらでないと運は味方しない。「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という言葉は、まさにその通りなんですね。選手たちが本当にこのことを理解できたら、その選手なりの野球ができるようになると思います。

とは言いつつも、僕自身、まだまだ人間ができていませんので、徳を積むことは人生最大のテーマですね。『論語』に「磨(ま)すれども 燐(うすろ)がず」という言葉があると聞きました。堅いものはどんなに摩擦しても薄くならないように、志さえ堅固ならば、どんな環境でも挫(くじ)けることはないという意味、そのような気概でこれからの人生を歩いていきたいと思っています。

 

⑵、隈 研吾氏(東大教授・新国立競技場 設計者)

1)、仕事がないことは一番のチャンス

事務所を構えたのは、1987年、32歳の時で、ちょうどバブルの真っ盛りでした。本来なら最初は小さな住宅の設計くらいしか仕事はいただけないはずなのに、いきなり都心の青山にあるビルの設計が舞い込んできたりと、それは華やかなものでした。

ところが90年代になった途端、バブルが弾けるわけです。オイルショックの後、「これからは建築の時代じゃない」と言われたのと同じ空気が日本中に広がり、僕もまた90年代の10年間、東京での仕事はゼロだったです。

皆から「嘘でしょう」と言われるんですが、本当の話です。それで「こんなに時間があるのなら、とりあえず心配事はすべて置いて全国のいろんなところに旅してみよう」と思って。地方の町や村を回り始め、その中でポツポツと小さな仕事をいただくようになったんです。

94年に手掛けた高知県梼原(ゆすはら)町の地域交流施設は「公衆便所でもやってもらいますか」と町長に声を掛けていただいて始まったものです。予算は僅かでしたが、職人さんと酒を酌み交わしながら構想を練り、地場の素材や土壁を最大限に活用することで誰も試みたことのない方法があることがわかってくるんです。どんな小さな仕事でも楽しんでやれる自信がついたのがこの頃です。・・・中略・・・

この10年間体験があったおかげで、身の丈に合ったサイズの仕事さえやっていけば満足できる。仕事がないのは、建築家にはむしろ一つのチャンスだと前向きに受け止められるようになりました。

 

2)、苦しい時、人間は二つに分かれる。

「何でこんなことをやらないといけないのか」と思う人と、「これは自分にとって何かのチャンスになるかもしれない」と思える人では、同じ体験をしても全く違う結果が生まれる。

建築の世界では、クライアントというものは割合好き勝手なことを言うんですよ。設計する側はどうしてもそれを「勝手な要望だな」と感じるわけだけど、その時に「これで図面を書き直さなきゃいけなくなる。面倒だ」と受け止める人と「もしかしたら、これでもっといい建築ができるかもしれない」と受け止める人の二つに分かれるんですね。僕自身、その後者でありたいと思っています。

ある設計で僕の好きな図案をクライアントから理由もなく、まったく違うものに変更してほしいと言われたことがあります。その図案はいいとは思わなかったし、一瞬ムッとしたんですけど、一晩寝て「やってみるか」と考え直し設計してみたところ、予想以上に美しい出来映えで、その後は、その図案のほうが多くなっちゃいました。

 

3)、才能がないことが才能、才能がないから頑張れた。

大学院の恩師・原広司先生がいます。先生と一緒に3ヶ月間、アフリカで集落調査を行った時、サハラ砂漠を車で横断中に、寝袋を並べて野宿をしながら、自分の夢やいろいろな人生の話をしてくださったことは、忘れ難い思い出です。

教室にいるときは、先生と学生は上下関係だけど、空を仰いで寝ている時は人間同士の付き合いになるんです。格好を付けることもないし、嘘も言えない。先生の正直な気持ちを聞けて、僕もあんなふうにして若い人を育てたい、と心から思いましたね。

その時、ふと原先生がこうおっしゃったんです。「建築っていうのは才能じゃなく粘りだ」と。先生の師匠である丹下健三さんの言葉だそうですが、天才的な才能の持ち主と思われている丹下さんでさえも「才能はある意味、どうでもいいんだ。どこまで粘れるかだけだ」とおっしゃっていたというんです。「ああそうなのか、粘っていりゃ、一角の人間になれるかもしれないな」と、そう思いました。

素晴らしい先生との出会いでした。一緒に旅をするまで僕は、原先生は雲の上の人ばかりと思っていました。だけど、同じ日常を過ごしてみると、正直「普通の人なんだな」と思ったんです。だから、僕も皆なに「普通だな」と思ってもらおうと。「隅でさえこれだけの設計ができるのなら、俺だってできるはずだ」と思ってもらえれば本望ですね。

何の世界も好きということが根本にないと長続きしないし、人としても成長できないでしょうね。いろいろなスタッフを見ていても、やはり楽しく仕事をしている人、その人の脇にいるだけで、こっちまで楽しくなるような人が伸びていますね。

才能よりも人柄。僕も全くそう思っています。そのこともあって隅事務所の入社試験の面接は僕自身が行うことにしています。12時間という制限を設けこちらから与えた建物を設計させるわけですが、僕が夜遅く事務所に帰ってきて、その設計に込めた思いを本人に説明させるんです。その時の声の調子だけでも、建築に対する熱意や人柄、自信がどの程度のものなのかが伝わってきます。

 

4)、神様が味方してくれると思う瞬間がある。

運を掴むには何事もポジティブに受け止める姿勢はとても大事でしょうね。

全く同じものを与えられてもポジティブに受け止めてられるか、ネガティヴに受け止めるかでは見えてくる世界はまるで違ってくる。僕が人生の中で大事にしてきたことを端的に表現するとしたら、この「ポジティブに受け止める」ということですね。

ただ、ポジティブといっても決して肩肘を張ることではないと僕は思っています。一所懸命であることは大切ですが、「負けないぞ」「大変だぞ」と身構えると、逆に運は遠ざかってしまう。むしろ、あまり息張って構えたりせず、明るく前向きに頑張っていくと運は自然と呼び寄せられるように感じます。

僕の人生の中では、「これは神様は味方してくれたな」と思う場面も何度もありました。新国立競技場の受注もそうでしたが、重要な仕事はコンペで決まることが多いんです。

コンペっていうのは本当に運なんですね。どんなにいい案を出したとしても、運がないと勝つことができない。建築の仕事をしていると、そのことをしょっちゅう感じます。

 

2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて新国立競技場の建設が進んでいる。その設計に携わったのが日本を代表する建築家の一人・隈 研呉氏。一方の栗山英樹氏は2016年監督として北海道日本ハムファイターズを日本一に導いた他、大谷翔平はじめ有力選手を育てた実績をもつ。華やかな経歴の二人だが、これまでの半生は決して順風満帆ではなかった。逆境の中で自らを処し、道をひらいてきた。誰にでも共通する運と徳の法則を知ることができる。

 

3、天運を呼ぶ生き方

・・・・・西田文郎氏・田口佳史氏 対談より

 

⑴ 天運の七つの法則

・・・・・西田文郎(サンリ創業者/経営者やビジネスマン、トップアスリートの能力開発指導に携わる)

 

天運とは先祖からいただいた究極の運のこと。ですから、天運は三代、四代まで影響してくる。天運の七つの法則を学んで実践することが、自分の人生をよくするのみならず、自分の子や孫、周りの人を幸せにする道でもあるんです。

一番目

「真の親孝行」おまえ生んでよかった、おまえが自分の子でよかったって親に言われることが真の親孝行です。

二番目

「先祖の歴史」自分という人間が生まれるためには二人の親がいて、その親にはまた二人づつの親がいて、十代遡るだけで1,024人、二十代で1,048,576人・・・となる。そのうちたった一人でも命が受け継いでくれる人がいなかったら、自分は生まれてきていない。その奇跡のような事実を知れば、感謝せずにはいられないですよね。

三番目

「日本の成り立ち」。『国記』や『天皇記』をはじめとする歴史書を勉強し、我が国は紀元前660年初代神武天皇が即位されてから第百二十五第今上(きんじょう)陛下(きんじょう)までに実に2,679年にわたって途切れることなく連綿と続いています。世界一長い歴史を持つ国であり、他の国と何が違うのかと言うと、それは間違いなく「しらす」の国だということです。「しらす」とは「知らす」という日本独特の言葉で、天皇陛下の知らせを聞いた国民同士が情報を共有し、協力しあって国づくりをする。

一方その反対が「うしはく」。これは「主人(うし)」が「履(は)く = 所有する」という語源で、要するに主君が民衆を押さえつけて強制的に支配することです。歴史をみると、「うしはく」で統治している国はすべて滅びています。

長く繁栄する会社や家をつくりたいのであれば、天皇陛下の「しらす」の役割を真似すべきです。天皇陛下は常に国民の安寧と繁栄をお祈りされているわけですから、その利他の心を掴まない限り、人間的成功はないと考えます。

四番目

「善と正義」

先祖の歴史や日本の成り立ちを知ると、そこで「善と正義」が出てくるんですよ。

生かされているということに感謝の念が沸き起こり、自分を大切にすることはもちろん、他人を思いやることができ、自らが信じる正しい行いを命がけでも成し遂げようとする。最近では、東日本大震災が起こった時に、自分を犠牲にしても周囲の人を助ける姿は、世界中の人たちに賞賛されました。

五番目

「無知の知」

アインシュタインが説いたもので、「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる」

人間は「すぐに気づく人」「少し遅れて気づく人」「うんと遅れて気づく人」「一勝気づかない人」この四つに分かれるというのが私の持論です。その中で本当に優秀な人は「うんと遅れて気づく人」なんです。

なぜかと言うと、うんと遅れて気づくとは一所懸命勉強しているからです。すぐ気づくと大抵の人はそれ以上追求しないから思想が停止してしまう。すると、自分が正しいと思い込んで、相手を思いやれなくなる。そうゆう一方思考にはなってはいけない。

人間国宝になられた方で、最初は非常に不器用だったとおっしゃる方は多いですよね。スポーツの分野でもそうで、川嶋勝重君って世界チャンピョンのボクサーを指導したことがありますが、彼は二度プロテストに落ちるほど素質がなかった。

反対に、器用な人は途中で止まってしまう。日本チャンピョンになって、それ以上伸びずに終わる。という選手はいっぱいいるんです。素質があるとすぐわかったつもりになって、人よりは優れているんですけど、超一流にはなれないということがあります。

六番目

「天との約束」

私は29歳の時、天国にいる父との約束でサリンという会社を作りました。

で、門下生にずっと言ってきたのが、正月に神社に行って「今年はこうします」って誓うのも大切ですけれど、一年に一遍、大晦日にそれまでお世話のなっって亡くなった人をイメージングする。その方が重要だと。亡くなった人を思い出すことで、天と約束するわけですよ。そうすると、どんなことがあってもぶれなくなります。

七番目

「伝承伝達」私たちは先祖から命を受け継いで生きているわけですが、命だけでなく、よりよく生きるための知恵や技術もまた伝承伝達していく役目があります。

 

この七つは関連しているので、一つでも欠けたらダメなんです。七つの法則を全部やると、天運に恵まれと確信しています。

 

 

⑵ 「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」

・・・・・田口佳史(イメージプラン創業/東洋倫理学、東洋リーダーシップ論の第一人者)

私は35歳で松下幸之助という経営の神様にお目にかかる機会に恵まれました。

「経営者の条件とは何ですか」って聞いたら、真っ先「運が強いことや」と。矢継ぎ早に、「運を強くするにはどうしたらいいですか」と聞いたわけです。そうしたら、「徳を積むことしかない」と。これが運と徳の関係に触れた最初でした。

私の松下幸之助の薫陶(くんとう)を受けられこと自体が、運の強さでしたかもしれません。

また、徳についてこうもおっしゃっていましたね。「徳というのはAさんに掛けて、Aさんから返ってきたことは一度もない。だからといってAさんに徳を掛けなくていいかというとそうではない。どこから返ってくるから分からないから、会う人それぞれに徳を掛けなきゃいけない。」

じゃあ徳って何かということですが、私なりに東洋思想を学んで規定したのは、「自己の最善を他者に尽くしきる」ということです。丁寧に心を込めて一人ひとりに接していけば、ありがとうと感謝され、自分が病に臥たり仕事がうまくいかずに腐っていたりする時に、見返りなく手を差し伸べてくれる。そういう感謝の人間関係で結ばれた人が周囲に何人いますかと。

『論語』に「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」とありますけど、やっぱり人間は一人では生きていけない。他者の応援が必要です。それには徳を掛けることが不可欠なんです。

徳を積んでいると、自ずと幸運も舞い込んできますからね。

成功した人の書に書かれた文章を見ていると、なんと次のような言葉が多いか。「ばったりと」「偶然にも」「たまたま」これ全部運の強さを表している言葉ですよね。運が強くなければとても成功できない。運を采配している力、それが天です。

『易経』の有名な言葉に、「積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)有り。積(せき)不善(ふぜん)の家には必ず余殃(よおう)有り」とあります。自分一人だけ愉快に過ごそうなんて思ったら大間違いで、自分がどう生きたかが家族や子孫その周りにも反映してしまう。ですから、自分のためだけではなく、善行を積み、陰徳を積むことが重要だということを考えた生き方していく。それが運と徳を高めていく道につながります。

 

4、安岡正篤に学ぶ運と徳の高め方

・・・・・北尾吉孝/SBIホールディングス社長

 

⑴、SBIグループの経営理念には「正しい倫理的価値観を持つ」という項目を筆頭に設け、次の一文を掲げています。

「『法律に触れないか』、『儲かるか』ではなく、それをすることが社会に照らして正しいかどうかを判断基準として事業を行う」正しい倫理的価値観を持たずして行う事業は、決して長続きすることはないでしょう。会社というのは、ただ利益を上げればいいというものではなく、世のため人のために存在するべきだというのが私の信念です。

こうした倫理的価値観を育む上で非常に大きな影響を受けたのが安岡正篤先生です。

 

⑵、自分を知ることがすべての出発点

人の生き方に通暁(つうぎょう)した安岡先生は、運や徳という一見捉えどころのないものにも、有益な示唆を与えれくださっています。

安岡先生は、運とは宿命と運命とがあると説かれています。宿命は、例えば男として生まれる、日本人として生まれるなど、自分の力では如何ともし難いもの。しかし運命は「命を運ぶ」と書くことからも明らかなように、変えることができるものです。

そして、運命を変えるために安岡先生が説かれているのが、尽(じん)心(しん)・知命(ちめい)・立命という自己維新のプロセスです。

「尽心」とは心を尽くすこと、心を探求して本来の自己を自覚することで、「自得(じとく)」ともいいます。それによって天から与えられた使命を知る「知命」、それに基づいて自分の運命を創造する「立命」が可能になります。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「汝(なんじ)自身を知れ」と言っています。また、ドイツの文豪ゲーテは「人生は自分探しの旅」と残しています。安岡先生も自得こそがすべての出発点と説かれています。

自分はいかなる使命を持ってこの世に生まれてきたのか。そのためにどのような才能、能力を天から与えられてきたのか。あの孔子も50歳になってようやく天命を知ったと述懐(じゅっかい)しているように、自分を知ることは容易ではありませんが、知ろうとする努力を真剣にしてきました。

 

⑶、運をよくするための心掛け

運命は決して固定したものでなく、変えることができるものであるとう安岡先生の教えは、私たちに顧望を与えてくれます。ならば、どうすればよい運命をつくっていくことができるのでしょうか。

仏教には、“因果”の法則という教えがあります。物事にはすべて原因があり、善(よ)い因をつくれば善い結果がもたらされ、悪い因をつくれば悪い結果がもたらされるということです。

同様に『易経』にも「積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り」という教えがあります。善行を積み重ねた家にはその功徳(くどく)により幸せが訪れ、不善を積み重ねた家にはその報いとして災難がもたらされることを説いています。

したがって、運命をよくするためには、善因をつくらなければなりません。善因善果、悪因悪果を踏まえて、日々自分を律していくことがとても重要です。そして、よき運に恵まれるよき運を持った人との縁にも恵まれ、よい出会いがさらに善い結果をもたらすこと、縁(えん)尋機(じんき)妙(みょう)、多逢(たほう)聖因(しょういん)の理(ことわり)を体現できるのです。

まさしく運と徳は密接な不可分な関係にあり、運をよくするためには、徳を高めていくこと。そのためにも、日々の生活の中で善を積んでいくことが非常に大切であると理解できます。

積善の基本となるのが日々の仕事です。仕事という言葉を構成する「仕」も「事」も、訓読みすれば「つかえる」であり、働くこと自体が世のため人のために尽くすこと、善を積むことに通じているのです。

もちろん、善を積むにはこうした特別な活動をしなければならないというわけではありません。「足もとの紙クズ一つ拾えぬ程度の人間に何が出来よう」目についたゴミを拾って歩くことも立派な善行であり、天は私たちにそうした平素の行いを見ています。正しいと信じることだけをひたすら実践すれば、結果は必ずついてくる。これは私のこれまでの人生を通じての実感です。

 

⑷万物平衡と最善観

しかし、ここで疑問が生じます。あれほど善行を積んだ人がなぜあんな不幸な目に遭わなければならないのか。そうした事例を、私たちはしばしば見聞きします。

孔子に天分を認められた顔(がん)回(かい)のような優れた人物が、なぜ夭逝(ようせい)してしまったのか。あるいは孔子の高弟(こうてい)のうちの一人であった伯(はく)牛(ぎゅう)は、なぜ重い病気を患ってしまったのか。たとえ高潔に暮らしていても、神も仏もあるものかと嘆きたくなるような悲惨な体験に遭遇することが人生にはあるものです。このことについて、私たちは一体どのように解釈すればよいのでしょうか。

善行は必ずしも世俗的成功と運がよいこととは別の話だというのが私の考えです。

『論語』に「富貴(ふうき)天に在り」という言葉があります。富や名声を得られるか否かわは天の配剤であるという意味です。そうした浮き雲のように儚(はかな)いことを追い求める人生に安らぎはなく、過度に執着することで幸せが遠ざかってしまうと私は思います。

世間には、志と野心を履き違える人が多く見受けられます。有名になる、大金持ちになることは決して悪いことではありません。しかし大切なことは、そこに世のため人のためという大義があることではないでしょうか。

その意味では、先ほども例に挙げたように、ゴミ拾いを通じて周囲の人々に心地よい空間を提供する努力を重ねることも素晴らしい志だと私は思います。

そうした志に生きることを通じて自らの天命を知り、よき家族や友人に囲まれて安らかに生きていけることが幸せであり、本当の意味でよい運に恵まれたことになるのではないでしょうか。

運の善し悪しについては、いまの自分を幸せだと思っている人も、不幸せだと思っていり人も、長い目で見ればあまり大きな差はないということ。この「万物(ばんぶつ)平衡(へいこう)の理(ことわり)を理解して、自分は運がよくない、自分は不幸だと短絡的に思わないこと。同時に、我が身に降りかかる一切のことは絶対必然で絶対最善であると思い定めてすべて受け入れること、すなわち「最善観」を持って歩んでいくことで運命が開けていきます。

こうした考えの前提にあるのは、やはり何をおいても徳を高めていくことに尽きると私は実感しています。徳を高めなければ心の安らぎも得られません。徳を高めていくことこそ、人間がこの世に生まれてきて為すべき最も大切なことだと私は思います。

「才と徳が完全なる調和をもって大きな発達をしているのは聖人である。反対にこれが貧弱なのは愚人である。およそ才が徳に勝てるものは小人といい、これに反して徳が才に勝(すぐ)れているものは君子という。人を採用する時は、絶対的に君子を採って、小人を排し、小人を採るのであればむしろ才無き愚人を採るほうがよい」

人を登用する際は才よりも徳をより重視し、見識ある人が上に立たなければ、組織が道を誤ってしまいます。

 

⑸、常に難しい道を選択する

ここまでに紹介してきた運と徳についての教えは、いかに人間力を養うかという話に集約されるかという話に集約されると思います。私自身がきょうまで仕事に打ち込んできて実感するもの、やはり人間力の重要性です。

例えば営業という仕事一つ取ってみても、表面的なスキル以上に求められるものが、その人の持つ人間的な力であり、その源となる志の有無です。世のため人のためにという崇高な思いをどこまで抱いていくか、その志をもとに平素からいかに自分という人間を修練しているか、それがその人の仕事を大きく左右するのです。

自分をいかに磨くかということについて、安岡先生は次のように説いておられます。

「人間修練の根本的条件は怯(お)めず臆せず、勇敢に而(しこう)して己を空(むな)しうして、あらゆる人生の辛苦(しんく)難関(なんかん)、喜怒哀楽(きどあいらく)、利害得失、栄枯盛衰、そういう人生の真実、生活を勇敢に体験することです。その体験の中にその信念を生かしていって、初めて吾々に知行合一的に自己人物を練ることができるのであります」

「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす」という言葉があります。ことさらに逆境を追い求める必要はありませんが、自分を甘やかさず、常に努力することは非常に大切だと思っています。私自身がきょうまで心掛けてきたことは、楽な道と難しい道がある時には、常に難しい道を選択するということです。

安岡先生は「自靖自献(じせいじけん)」という言葉を引き合いに説かれています。

「これは『書経』の中の言葉でありますが、平たく言えば、内面的には良心の安らかな満足、またそれを外に発しては、なんらかの意味において世のため、人のために自己を献ずるということである。・・・(中略)・・・これなくしては人間ではない。動物となんら異ならない」

人間はもともと赤心(せきしん)赤子のように清らかな心持って生まれてくるものです。しかし、そこに私利私欲が入ってくると心が曇り、志を見失ってしまいます。

『三国志』の中で諸葛孔明は五丈原で最後を迎える時、息子の瞻(せん)に「澹(たく)泊(はく)明志(めいし)」という言葉を遺しました。私利私欲に溺れることなく淡泊でなければ志を明らかにできないという意味です。

日々真摯に自分を磨き、自分のエゴをで得る限り浄化する。これこそがまさに徳を高め、ひいては良運を招く秘訣であると私は考えます。

 

5、「愚かしき誠実・燃える情熱・へこたれぬ忍耐」

・・・・・平澤 興/後にパーキンソン病の基礎となった「錐体外路」の研究で日本学士院賞を受賞した一方、京都大学第十六代総長を務めるなど教育者としても多くの人々を導いてきた故平澤 興氏を娘の三谷 順さんが語る。

 

平澤 興氏の言葉

「生きることは決して楽ではない。どんなことがあっても耐えていかなければならない。生きることは苦しみを超えていくことだ」

「自分の不幸を感謝できるようになってこそ人間といえる。幸福は与えられるものではなく、自分の手によって獲得するものだ。たとえ幸せが与えられても、ある人間はいつの間にかそれを逃してしまう。しかし、ある人間は不幸の最中にあっても自ら力強く幸せを勝ち取っているに違いない。だが多くの人間は、際限なく襲ってくる苦しみに打ちひしがれ、美しい人間性を失い、醜い人間になる。苦しみを嬉々(きき)として耐えていく人間の中から、幸せは生まれてくるものではあるまいか」

「私は60年かかって、様々な苦しみに真正面から体当たりしてつくり上げてきたこの目、自分の魂、そして心を信じる。僕も随分いろいろな苦しみに遭遇してきた。しかし、決して敗北しなかった。」

「幸せなど、どういうものなのか分からない。この年になっても分からない。だが私は、いついかなる時でも、感謝と祈りを込めて生きていく」

50代半ば京大医学部の部長室にあった自分の写真を眺めながら

「鍛えてきた顔だな。一見すると、まるで苦労知らずで、のうのうと生きて成功したように見える。自分が耐えてきた血のにじむような苦しみが、顔に出ているようではいけない。僕の顔には、その苦しみが出ていないだろう。・・・だがよく見ると、頭のよくない顔だ。まだ浅い。もっと哲学的な深さを持ちながら、しかも笑みを含んだ顔にならなければいけない」

 

父は私にとって慈悲の人であり、愛の人でした。総じて父の人生は自分のためではなく、人のために生きた人生だったのだと思います。なぜならその根底には、両親の深い愛情に加え、縁ある方々からの支えに対する深い感謝の念があったからに他なりません。

少し見方をかえると、父は与えられるだけでではよしとせず、それを還元するために自ら与える人、つまり徳の人になったのでした。そしてその徳に引き寄せられるように、仕事や人生において思いがけないような運が次々と巡ってきたのではないかと思います。

 

 

 

 

 

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