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有賀泰治ブログ

「Happy new decade!」

 

この言葉は友人のTさんから昨年末に届いた暮れのご挨拶の中にあった。

T氏のメールを要約すると

「2020年の新しい年に入るにあたり、海外での新年のあいさつで「Happy new decade!」という言葉に触れる、“decade”は10年間という意味で、新しく始まる2020年代を希望を持って祝うという意味なのであろう。日本人は習慣的に個人的については”1年の計”として区切り目標を立てたり振り返ったりすることはよくあるが、10年間の期間で見通すことは稀である。

10年後の到達目標や計画を考えると想像的な要素が加わり楽しさが増す。発想が長くなった分だけ、自由で希望的な目標を自己の中に熟成させ続ける。これからの10年間は、より広い枠組みで都合のよい偶然に出くわす可能性が増します。自分が出会うべき「機会」を見逃さないことだ。」

 

私の会社では1年を区切りとして目標を立て、10年間や100年後までも永続できる企業を目指すことはある。しかし私の10年間を見通すことはほとんどありませんでした。

この“decade”に触れながら、今年の年始は、個人の10年後を考えてみた。年齢は重ねるが、何時までも好奇心をもち向上心豊かな自分の人生を演出していきたいものだ。

 

 

 

 

経営方針共有勉強会1月

《読書尚友》

2020年1月1日

有賀泰治

 

1、読書という名の“山登り”

 

娘の小学校の入学祝いに父が贈ったプレゼントは「栞(しおり)」だった。「いっぱい本を読もうね」と言葉を添えて、彼女はその手触りうれしそうに確かめながら、ふと言った。「どうして『しおり』って言うの?」。

はて、と首をひねる父。辞書を引くと、「しおり」という字は「枝折(しおり)」から転じたものとあった。いにしえの人々は山道を進む際に迷わぬよう、通った道の木の枝を折って帰りの目印にしたという。「じゃあ本を読むことは山登りなんだね」と娘は瞳を輝かせた。

確かに、一ページ一ページ、本を読み進める作業は、山道を一歩一歩、登るようなものだ。歩むペースは人それぞれ。途中の景色を心ゆくまで楽しみつつ、四方の絶景を見渡せる、物語のラストという山頂を目指す。

古典や名作になると、山道は長く険しくなるかもしれない。それだけに、登りきった時の喜びは何物にも代え難い。

「苦しく困難な登攀(とうはん)作業にも似た格闘を経て、初めて血肉となるのが良書」

山頂に立つ感動は、自分の足で登らなければ味わえない。一日5分でも10分でもいい、読書に挑戦して栞を挟むページの位置が進むにつれ、自身の心が鍛えられ、豊かになる。

 

2、宝の一書

 

ノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏。科学を目指すきっかけになったファラディーの『ロウソクの科学』は、小学校の担任が薦めたものだった。氏は「私の好奇心をくすぐってくださったことが、今回の受賞につながりました」と感想を述べた。

一方、当時の担任はマスコミの取材に「ご本人が勉強し研究された結果ですから、私がどうのこうのではありません」と応じていた。

子供時代において、一冊の本との出会いがいかに大切か、あらためて教えられた。

良書には、人生を変える力がある。その出会いの機会を子どもたちに贈るのは、大人たちの責務である。そして、その機会を大人自らが見出し学び続けることも喜びである。

 

3、ほんものの人間になる

 

先日、ある女の子に「夏休みは、どんな本を読んだの?」と問いかけた。すると彼女は「今年の目標は10冊!」と言うなり、名作や話題の本の名を次々と挙げていく。聞けば、この夏に読む本を親子で話し合ったという。指を折りつつ、うれしそうに語る姿に胸が温かくなった。

 

ドイツの哲学者ショーペンハウアーは「精神のための清涼剤としては、ギリシア、ローマの古典の読書に勝るものはない」と。人格を養うために良書に触れる重要性を訴えた。

一方で“底の浅い本”は口を極めて糾弾(きゅうだん)した。「悪書は無用なばかりか、積極的に害毒を流す」「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである」と。(斎藤忍随訳『読書について』)

 

書店や図書館だけでなく、インターネットを通じても手軽に本が読める時代にあって、問われるのは読み手の“本を選ぶ目”だろう。優れた本と“格闘”してこそ、読み手の内面も豊かになる。

青年に呼びかけたい!

「長編を読む。古典を読む。今、読んでおかないと、人格はできない、ほんものの人間にはなれない」

 

4、良書に触れる!

 

「読書、なかんずく小説を読む喜びは、もう一つの人生を経験することができる、という点にある」

・・・・・ 作家・山本周五郎の言葉だ。

氏が、ある短編小説を読んだ時のこと。ナチスの占領下のスカンジナビア半島の雪山を、主人公が必死で進む描写があった。その真に迫った生々しさを、「針葉樹林のにおいや、雪のさわやかなにおいまで感ずることができた」と述懐(じゅっかい)している。

読書によって「現実の生活では得られない情緒や感動」を得られると、氏は力説する。「こちらに積極的な『読み取ろう』とする気持ちがありさえすれば、たいていの小説はそれを与えてくれる」と(『また明日会いましょう』河出書房新社)

読書の目的は“新しい情報を得るため”趣味として楽しむため” など、さまざまだろう。ただ同じ本でも、読む側の心一つで手応えは変わる。

自分を磨き高める本を選び、真摯に向き合ってこそ、精神の実りは豊かになる。

そして良書を読んで、自身の考えを記せば、思索はさらに深まっていくだろう。読書感想を記すのも英知を磨く絶好の機会になる。

 

5、読書習慣が学力を決める

・・・・・土屋秀宇(ひでお)/「母と子の美しい言葉の教育」推進協会会長

・・・・・川島隆太/東北大学加齢医学研究所所長

1、かねて指摘されてきた若者の読書離れに、便利な情報機器の普及なども相俟って一層拍車が掛かっている。

しかし近年、脳科学の目覚ましい発達により読書の重要性が改めて注目を集め始めているという。長年にわたり独自の国語教育を実践してきた土屋秀宇氏と、読書が脳に与える驚くべき効果を実証してきた川島隆太氏に、各々の体験を交え、子供の読書習慣を育むことの重要性を語り合っていただいた。

2、よい言葉をたくさん入力した子供は、それを実現しようと心が働くから、結果としてよい生き方が実現できる。

・・・・・土屋秀宇

子供たちを観ていて感じるのは、彼らが読書を通じて様々な言葉を自分たちの中に入力していくと、だんだんその言葉に宿る命が、子供たちをコントロールし始めていくように思うんです。逆に言えば、子供たちは入力された言葉を実現しようと心が働いてしまうように感じているのです。

ですから、よい言葉をたくさん入力した子供は、それを実現しようと心が働くから、結果としてよい生き方が実現できる。そういう意味でも、子供たちに優れた人物の伝記やよい詩文に触れてもらうことは、とても意義のあることではないかと僕は思うんです。

 

3、脳の測定をさせてもらうと、読書習慣を持っている子は脳の発達がとてもいい

・・・・・川島隆太

脳の測定をさせてもらうと、読書習慣を持っている子は脳の発達がとてもいい。大脳の言語半球の神経線維という電線の連絡する部分、ここの発達がすごくよくなっていることが分かりました。

実際にどれだけ学力に差があるかと言いますと、読書を全くしない子が平均点を超えるには、家で毎日2時間勉強して、かつ睡眠を6時間から8時間キチッととらなければなりません。ところが読書を毎日する子たちは、家での勉強時間が1時間もあれば十分で、あとはちゃんと睡眠さえとっていれば平均点を軽く超えるんです。

編集後記

読書習慣の有無で学力にここまで大きな差がついてしまう─衝撃的ともいえる事実が明かされたのが、「母と子の美しい言葉の教育」推進協会会長・土屋秀宇さんと、東北大学加齢医学研究所所長・川島隆太さんの対談でした。読書習慣を取り戻すことを真剣に考えなければなりません。

 

6、読書尚(しょう)友(ゆう)

・・・・・藤尾秀明

『読書尚友』

読書を通して古(いにしえ)の聖賢を師とする。という意である。

吉田松陰が叔父玉木文之進の子彦介の大成を願って与えた「士規七則」の中にこの言葉は出てくる。こう記されている。

「人古今に通ぜず、聖賢を師とせずんば、則ち鄙夫(ひふ)のみ。読書尚友は君子の事なり」

人が歴史に通ぜず古の聖賢を師としなければ、つまらない人間になってしまう、読書を通じて古の聖賢を師とするのが君子のなすべきことだ、という教えである。

「尚友」の原典は『孟子』である。

 

弘法大師にもこういう言葉がある。

「人の相知ること、必ずしも対面して久しく語るのみにしもあらず」

必ずしも直接会って語らなくとも、書物を通じて師と友を知ることはできる、ということだろう。

 

話は転じる。『致知』別冊として『母』を発行した。サブタイトルは「子育てのための人間学」。多くの注文をいただいて、日本にはいまも子育てに真剣に取り組んでいる若いお母さんがたくさんいることを知った。

一方、悲しい事件もあとを絶たない。先日、西舘(にしだて)好子さんが発行されている『ららばい通信』に一人の少年が綴った「僕の声を聞いて」という文章が掲載されていた。紹介する。

 

「おかあさん、ぶってもけってもかまわないから 僕を嫌いにならないで。お願いだから僕の目をちゃんと見て。

おかあさん おまえを産まなければよかったなんていわないで 僕は今ちゃんと生きているんだから。おかあさん 優しくしなくてもいいから、僕に触って。おかあさん 赤ちゃんの時抱いてくれたように抱いて。おかあさん 僕の話にうなずいてくれないかなあ。

つらい、悲しい、もうダメ、お母さんの言葉ってそれしかないの。赤い爪魔女みたい、ゴム手袋のお台所、お部屋のあちこちにある化粧品、僕の家のお母さんのにおい、僕の入れない世界で満ちている。おかあさん お母さんの匂いが欲しい、優しい懐かしいにおいが。

おかあさん お願いだから手をつなごう、僕より先に歩いて行かないで。おかあさん お願いだから一緒に歌おう、カラオケ屋じゃないよお家でだよ。おかあさん 500円玉おいてくれるより、おにぎり一個のほうがうれしいのに。

おかあさん 笑わなくなったね、僕一日何度おかあさん が笑うかノートにつけてるの」

 

少年の悲痛な叫びが母に届いただろうか。

 

詩人の坂村真民(しんみん)さんのお母さんは五人の子供を女手ひとつで育てる生活の中で、辛い苦しいという代わりに、「念ずれば花ひらく」という言葉を真言のように唱えて五人の子を立派に育て上げた。

子を産み育てるということは何にもまさる大事業である。それだけに現代のお母さんにも読書を通じて良き師よき友と出逢い、よき教えよき言葉に学び、自らのかけがいのない使命を全うしてほしいと切願する。

 

7、大文学を読め!歴史を学べ!一流の本を読め!

イタリアの文学賞の一つに「露天商賞」がある。第一回(1953年)の受賞はヘミングウェイの『老人と海』。なぜ«書店»ではなく«露店»なのか。その源は同国北部の山岳地帯の村・モンテレッジォにある。

山に囲まれた村の主な収入源は農地への出稼ぎ。だが19世紀初頭の異常気象で多くの村人が働き口を失う。そこで始めたのが«本の行商»・古本や新刊を背負い、ベニチアやローマなど各地で売り歩いた。

早朝の街で露店に本を並べると、仕事に向かう途中の人々が買いに来る。行商は客の表情を見ながら「この本を読んだのなら、ぜひこれも!」と薦めたという(内田洋子『モンテレッジォ小さな村を旅する本屋の物語』万丈社)。賞の名には«本当に読んでもらいたい»という思いがあふれている。

今や«おすすめ»の本を教えてくれるのはインターネット通販サイトという時代。ただ、心を動かされた本は人に薦めずにはいられなくなるものだ。読書には読む楽しみと同時に、本を巡って語り合う喜びもある。よく登山に行きます。山の活動は午後3時を目安に登る、そんな時小さな単行本を持っていくこともある。昨年も弁護士と会計事務所の先生と山を共にした。その友人との語らいには本の話題になる。皆が良書に触れて心を磨いている。刺激を受け読んでないものがあればさっそくネットでオーダーする。

 

8、生きるために欠かせない

 

東日本大震災の直後、食料品店には長い行列ができた。同じように、多くの人が押し寄せた場所が他にもある。それは「書店」だ。

岩手県大船渡市の、河口から4Kmほどの書店は、発災4日後の3月15日に営業を再開。関係者は『こんな時に本など売れないだろう』と期待していなかったが、結果は予想外。大勢のお客さんが詰めかけ、本は飛ぶように売れたという。生き抜くことで精いっぱいの中でも、まさに「生活用品」として活字を求める人が多くいた。(稲泉連『復活の書店』小学館)

人は水や食料だけでなく、活字が無くては生きていけないものだろう。大変な時でも、否(いな)、大変な時こそ、心の栄養を得て、真に人間らしく心豊かに生きることを忘れないために、活字に触れていきたい。

私の父と母も戦前、戦中、戦後を生きてきた。「食べたいおやつ、ご飯も我慢してでも、本を読みたかった」という時代を生き抜いてきたという。小学校のいつの時か、母が私と弟に《少年少女世界文学全集》を買ってくれた。母の子供たちに、「明朗であれ、勇敢であれ、天使の如くであれ」願いがこもっていた。中学を卒業するまでに全部込み切って、今も好きな世界の物語がたくさんある。

 

9、読書と対話

 

一人静かに楽しむ読書もあれば、本を巡って誰かと語り合う読書もある。年間のべ9,000人が参加する日本最大規模の読書会コミュニティーが「猫町倶楽部」。主催する山本多津也氏は、「本の内容を理解し、自分の考えを他者に伝える«アウトプット»によって、読書という«インプット»が正しく完了する」と強調している。

全国で年200回ほど開かれる読書会では、参加者が感じたことを自由に発言していく。目の前に並ぶ聞き手は、理解できれば「なるほど」とうなずき、分からなければ難しい顔をする。

そうした相手の反応を見ながら言葉を発するうちに、「頭の中に無造作に広がっていた思考のかけらが、パズルのピースのように一つずつはまって、まとまっていく」。つまり読んだ本の内容が「自分の中により深く内在化されていく」という(読書会入門・幻冬舎新書)

対話にも通じよう。相手に分かってもらいたい一心で、表情を考え、工夫を重ねる。その努力の積み重ねによって、自分自身の思想が磨かれ、言論の力が鍛えられていく。

 

 

 

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