fbpx
MENU

有賀泰治ブログ

11月 経営方針共有勉強会

経営方針共有勉強会
人生の志・誓い

2020年11月01日
有賀泰治

1、二度とない人生をどう生きるか    2020年10月発行
・・・・・藤尾秀昭/致知出版社社長

 人は教えによりて人となる・・・という言葉がある。その通りだろう。人生のある時期にどういう教えと出会うか、それによって人生は全く違った趣(おもむき)を呈するようになる。
円覚寺派菅長・横田南嶺老師が『十(じゅっ)牛図(ぎゅうず)に学ぶ』の中でこんな話をしている。

「平成を振り返ったときに、私がどうしても忘れられないことの一つがオウム真理教の事件です。(今年(2018年)、13人が死刑によって亡くなりました。その中の一人は、私の大学時代の同級生です。同級生といっても面識があるわけではないのですけれども、事件の後、同級生にいたことがわかりました。
オウムに入った同級生はサリンを作りました。彼はものすごく優秀な科学者で、明晰な頭脳を持っていて、そして純粋な青年でした。でも恐ろしいことに、その純粋さと科学者としての素晴らしさが仇になってしまいました。
私としては考えさせられます。同じ年に生まれ、大学も立派な国立大学で学んでいたのに、どんな教えに触れたのかによって生き方が変わってしまうのです。私はありがたいことに今年もこうして皆さん方の前でお話しをさせていただいています。一方で、彼は刑場の露と消えてしまいました。どんな教えに出会うかによって人間はこうも違ってくるものかと驚かないわけにはいきません」

この事実が私たちに教えるものは多い。いくら頭がよく、才能に恵まれていても、良き教えに出会わなければ人生を誤ってしまうのだ。

昭和の碩学(せきがく)・安岡正篤師はこう語っている。
「人生はできるだけ早くから、良き師、良き友を持ち、良き書を読み、ひそかに自らを省(かえり)み、自らを修めることである。人生は心がけと努力次第である」

筆者は長きにわたる『致知』の仕事を通じ、古今の先知(せんち)先賢(せんけん)からの多くのことを学ばせていただいた。その都度、その学びを拙文(せつぶん)し認(したため)め、また話したりしてきた。その言葉に弊社の若手社員が感応し、この本が生まれた。

「人生は邂逅(かいこう)である」と古人は言っている。一冊の書物との出会いそのものである。本書との邂逅により、一人でも多くの人が二度とない人生をどう生きるかのヒントをつかみとってくだされば、これに勝る喜びはない。

最後に東洋古典『礼記(らいき)』の言葉を紹介したい。

玉、琢(みが)かざれば器を成(な)さず
人、学ばざれば道を知らず
(玉も磨かなければ立派な器にはならない。人も学ばなければ立派な道を知ることができない)

何千年たっても、人間を貫く真理は不変である。

第一話 生きる力

青年は臨済宗妙心寺寺派に妹三人の一人息子として生まれた。

小学校で教師に僧職を否定されたこともあったのだろう、青年は寺を継ぐのを嫌い、大学を出るとサラリーマンになった。

その日の気分だけで過ごす若者にとって、サラリーマンは気楽な稼業だった。

ある日、会社の行事で講演会が開かれた。講師は鎌倉円覚寺管長の朝日奈宗源老師。青年は寺のでということで課を代表して講演会に出席する羽目になった。

寺を嫌った自分がなんで坊主の話を聞かにゃならんのか。気分は乗らない。青年は会場の片隅に座ると、草速睡魔に襲われた。
と、朦朧(もうろう)とした頭に老師の声が響いてきた。

「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、仏心の中に息を閉じよ」。

青年はムカッとなり、途中で会場を出た。サラリーマンに話すのに仏教用語なんか使うな、現代語で勝負しろ。

しばらくして、人事担当から電話が入った。朝日奈老師が貴賓室に戻られたから、寺出身のよしみで老師にインタビューせよ、という。

面白い、天下の名僧とやらをからかってやろうじゃないか。

老師と対座した青年は、
「私には仏心とやらが全く理解できません」
と切り出した。

「お前さんは幾つじゃ」と老師。

「二十五歳です」

「二十五歳か。それじゃ仏心は分からん」

「どうしてですか」

「お前さん、わしの話をどこまで聞いておった?」

「先生のお顔を見つめて聞いておりました」

「そうか。わしの面(つら)の皮一枚しか見ておらなかったのか。それじゃ仏心は分からん」

「どこを見たら仏心が分かるというのですか」

「そうじゃな。人間の目に見えぬものを見るんじゃ」

「そんなもの、見えるわけがないじゃないですか」。

そう吐き捨てる青年に、老師は
「わしはお前さんと話しているのが退屈じゃ。わしはもう帰るぞ」
と立ち上がった。

「なぜ私と話をするのが退屈なんですか。理由を言ってください」
と青年はなおも迫った。

老師は真顔で言った。
「わしにはお前さんが、一生は一回しかないことを意識して生きているとは思えん。そんな若造としゃべる気がせんのじゃ」

「一生は一回しかないことは、小学生でも知っていますよ」。

老師は青年を見据えて言った。
「ほう、そうか。それならわしが質問しよう。

一生は一回しかないな。もう二度と人間に生まれることはないな」

「はい」

「じゃ、聞くぞ。その二度とない人生をお前さんはどういう命題を持って生きていくのか。お前さんの人生のテーマを言ってみい」。

青年は息が詰まった。そんなことは考えてもみなかった。

「黙っていては分からん。お前さんの人生のテーマは何だ。さあ、言え。さあ」。

うろたえる青年に老師は続ける。

「人生は一回しかないというのに、二十五歳になっても人生のテーマがないとはなあ。人生にはわかっているものが二つある。
生と死だ。
その生と死を結ぶ一回をどう生きるか。こんな大切なことをわからんままに生きていていいと思うか」

「思いません」

「だろう。だから古人は、一生一道、使命に燃えて生きろと言った。
使命とは、お前さんは一体何に命を使っておるかということじゃ。さあ、言え。言ってみよ」。

老師の気迫に青年はうつむくばかりだった。

数日後、青年は「そうだ、自分は朝日奈老師のような人間になりたい」
と決意、禅の一道に自分を投げ出し、以後の人生を禅僧として生き切った。いまは亡き松原哲(てつ)明(みょう)氏の若き日の話である。

生きる力の根源をこの逸話に見る。
二度とない人生をどういきるか。そのテーマを定めた時、そこに生きる力は湧いてくるのである。

 

宿題 《 人生の命題 》

皆さんの人生の命題を考えてみてください。

一度しかない人生の命題です。

今の自分自身へ、人生の «契約»、自身に対しての «約束» を考えてみてください。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

2、人生に誓うものを持つ
・・・・・藤尾秀昭/『致知』

昭和の初め、岩波英和辞典を編纂(へんさん)、英語学者として名をなした田中菊雄という人がいた。学歴は高等小学校中退、国鉄の客車給仕係をしながら刻苦(こっく)勉励(べんれい)、18歳で小学校の代用教員になる。さらに旧制の中学、高校の教員資格を取り、後年は山形大学の教授を務めた。明治23年に生まれ、昭和50年、82歳で生涯を閉じている。

作家の渡部昇一氏と同郷で立志伝中のこの人を深く尊敬し、「少年時代、田中菊雄先生は私の心の英雄であった」と語られている。

その田中菊雄氏にこんな話がある(『知的人生に贈る』三笠書房)

私は小学校をでると(いやまだ出ないうちに)すぐ鉄道の列車給仕になった。
辞令を受けて帰って、神棚に捧げた時の気持ちは、いまでも忘れられない。そしてその辞令をいまでも大切に保存している。
「ほかの少年は親から充分費用を出してもらった学校へ通える。しかし、私は明日から働いて父母の生活の重荷の一端をになわしてもらえるのだ。私の働いて得たお金で父母を助け、また私の修養のためにも本も買えるのだ。私は本当の学校、社会という大学校へ、こんなに幼くして入学を許されたのだ。
ありがたい。本当によい給仕として働こう」。
こう思うと熱い涙がほおを伝わって流れたのである。

13、14歳の少年が初めて仕事に就いた時、心に誓った決意である。なんと立派な決意だろうか。
少年期より人生に誓うものを持つことによって、氏は自らを修養し、人生を構築していくのである。

話は飛ぶ。たびたび目にする光景がある。駅のホームで、あるいは街の路上で、制服のスカートをたくし上げ、あぐらをかいて地べた座り込む女子高校生たちの姿である。全国どこへ行っても、である。その姿はまさに異様である。女子に本来備わっている清楚さや恥じらいは微塵もない。彼女たちの表情も体全体から受ける雰囲気もどんより澱(よど)んでいる。
一人で悪くなる子はいない。幼少期からの躾、良い習慣、陶冶があってこそ人格は形成される。彼女たちはその機会を失ったまま今日に至ってしまったのだ。胸が痛む。

「人間は、必ず一人には一人の光がある」と先達は言った。しかし、一人の光を放つには、それなりの条件がいるえ。そしてその根本になるのが、人生に誓うものを持つということではないか、と思うのである。

山本有三作『路傍の石』の中で次野先生が少年吾一に語る言葉が思い出される。

たったひとりしかいない自分を
たった一度しかない人生を
ほんとうに生かさなかったら
人間、生まれてきたかいがないじゃないか

この言葉に感応し、誓いを持って人生を歩み出す若い魂の一人でも多からんことを願わずにはいられない。

3、わが「誓い」

歴史小説家・宮城谷昌光氏は出版社に勤める傍ら、小説家の立原正秋に師事し、創作活動を始めた。だが常に経済的な苦労が絶えなかった。
40代半ばでも鳴かず飛ばず。妻がふびんで、筆をおろそうと思った。だが、そんな時に読んだ中国の古典『菜根譚』の文章が胸にささった。
「己れを舎(す)てては、その疑いに処(お)ることなかれ。その疑いに処れば、即ち舎つるところの志、多く愧(は)ず」(今井宇三郎訳)。すなわち、身を捨てては取り掛かりながら途中でためらえば、初心をはずかしめることになる、との意だ。
氏は語る。
「なんのためにあなたは最初に志を立てたのですか、と本は問いかけてきました」(『歴史を応用する力』中公文庫)。その後、氏は46歳で直木賞を受賞。74歳の今も執筆を続ける。
人生勝利の要諦は、志を立てるとともに、その志を貫いていくことにあろう。

4、この一念

新年、新年度、新規事業、新しい始まりなどがある。思えば、その変わり目での時間の流れ自体に、特別な変化があるわけではない。それでも「年度」「新規」など改れば、生活の実に多くのことが切り替わる。
“たった一日”の違いで新しい何かが始まる機会は、こうした社会の制度ばかりではない。
かつて、ノーベル医学生理学賞を受けた中山伸弥教授が授賞式の翌日、インタビューでこう語った。「きょうが始まり。研究者を目指した最初の日に戻って仕切り直したい」
人は、わが一念を変革させることで、新たに使命の道を大きく切り開けている。しかし、未来や未知の分野を開拓する先駆者には、その前進を阻むような壁が立ちはだかる。
先のインタビューで中山教授も語っている。「研究を進めると、自然は思ってもいなかった新しい問題を問いかけてくる。答えるとまた問題が現れるので、それに答えたい」。
探究の志が増す求道者にふさわしい言葉である。
人生は、戦いを避けた瞬間から後退が始まる。障魔を前に、喜ぶ賢者となるか、退く愚者となるか・・・この一念の違いで一切の勝負は決まる。

5、誓願

独立運動に身を投じたインドの初代首相ネルーは、生涯に9度、投獄されている。最初の投獄の際、運動に参加できない焦りやいら立ちをガンジーに訴えた。
それを知ったガンジーは手紙を送り「もっぱらなにか大きな研究や手仕事をするように」と助言した。以来、ネルーは獄中で執筆活動などに打ち込む。彼の主著『父が子に送る世界歴史』『インドの発見』は、そうした獄中で書かれたものである。
一方、ガンジーは自らが投獄されている刑務所を「マンディル(ヒンズー教の寺院)」と呼んだ。ガンジーは刑務所でさえ、信仰を深め、自信を磨く道場であった。身は獄につながてていても、心は自在だった。
ガンジーは刑務所から毎週、弟子たちに手紙を送った。その中に「誓願の重要性」を訴えた一通の手紙がある。
「せっかくの決意も不便さの前に屈するというなら、なんの価値もありません」「わたしたちは、自己浄化や自己実現のために、誓願の必要をゆめゆめ疑ってはなりません」(森本達夫訳『獄中からの手紙』

新型コロナウィルスの感染拡大で、日々の生活にさまざまな制約があるが、気持ちまで窮屈になる必要はない。どこにいようと、人生は心一つで変わる。

6、希望の未来は、自分自身の一念から始まる。

未来に待ち構えているのは大変なばかり。人が増え過ぎて食べ物が無くなったり、怖い病気がはやったり、戦争が起きたり・・・。大人のそんな話を、お兄ちゃんから聞いた妹は、心配でたまらなくなってしまった。
おばあちゃんに相談すると「だいじょうぶよ!」と明るい声。未来がどうなるか誰にも分からないし、大人の言うことは大抵当たらないもの。「みらいは たーくさん あるんだから!」との言葉に安心した女の子は、楽しい“未来”を想像し始めた。
毎日ウインナーが食べられたり、ロボットがどこへも連れて行ってくれたり・・・(ヨシタケシンスケ『それしか ないわけ ないでしょう』白泉社)。年長者の達観(たっかん)と子どもの自由な発想は、世代を超えて私たちに大切なものを教えてくれている。
世界の状況は依然として予断を許さないが、こうした時こそ、想像の翼を広げ、プラス思考で日々を心豊かに過ごす努力を惜しむまい。人類の歴史は試練との戦いの連続であり、それらを敢然と乗り越えてきた歩みそのものである。明けない夜など断じてない。
どんな境遇にあっても、心は名画家のように、一切を自在に描きmm出していける。

7、 今生きているこの瞬間を精一杯生きればいい
・・・・・横田南嶺

令和 2 年 9 月 4 日、新聞各紙は「日本の子供 幸福感低く 38カ国中37位」と大き く報じました。とてもショックで非常に残念です。後進国日本は、何も大人達の世界だけ ではなく子供達にも及んでいることが明らかになりました。
記事によると、「国連児童基金(ユニセフ)は 3 日、先進・新興国38カ国に住む子供 の幸福度を調査した報告書を公表、日本の子供は生活満足度の低さ、自殺率の高さから “精神的な幸福度”が37位と最低レベルだった。“身体的健康”では 1 位で、経済的に も比較的恵まれていたが、学校のいじめや家庭内の不和などを理由に幸福感を感じていな い実態が明らかになった」とあります。
精神的な幸福度は生活満足度と自殺率で指標化されているもので、具体的には「家庭内の不和と学校のいじめ」が要因となっています。
戦後75年、我が国は誰が何を間違えたのでしょうか。もう一度振り出しに戻り、根本的に見直す必要があります。
国民一人一人が、じっくり考える必要がありますが、今回は、ここでは、月刊誌 「PHP」(令和2年9月号)に取り上げられている横田南嶺・臨済宗円覚寺派管長の「転 んでも、安心して立ち上がればいい」と題した言葉をご紹介します。

(1) 中学生のとき、私の人生を決定づける出会いがありました。和歌山県の興国寺という禅寺に目黒絶海老師という方がいらしたのです。座禅会に参加した私は、老師の風貌、たたずまいにふれて、身が震える感動をしました。初めて本当のことがわかっている方と出会えた気がしたからです。
(2) 老師から、臨済宗の修行である禅問答の課題をいただいて、修行を始めるようにな りました。しかし、未熟だった私は挫折ばかりです。老師は悩める私に、こんな言 葉を教えてくださいました。「すべってもころんでも登れ ふじの山」。
(3) すべらず、転ばずに、山に登れる人はいない。すべっても、転んでもいい。立ち上がって、また歩き出せばいいー。この言葉は以後、私の人生を支えるものになりました。
(4) もう一つは、松原泰道先生との出会いです。私は先生に「仏さまの教えを一言で言うと、何という言葉なるか、この色紙に書いてください」と、ぶしつけなお願いしました。先生は快く色紙にこんな言葉を書いてくださいました。
(5) 「花が咲いている 精一杯咲いている 私たちも 精一杯生きよう」。経典の言葉 でもいただけるかと思っていた私は、拍子抜けしてしまいました。子供だった私に は、まだこの言葉の深い意味が理解できなかったのです。しかし長い年月、いろい ろな経験をして、この言葉こそが死に対する一つの答えだとわかりました。
(6) 私たちが「いつ死ぬのか」「死んだらどこに行くのか」と悩んでいるこの瞬間も、 花は精一杯咲いています。私たちも、今生きているこの瞬間を精一杯生きればいい のです。

人間の力ではどうしようもないことが起きたとき、私たちはどうやって前を向けばいいのでしょうか。今、世界で進行している「世界大恐慌」のなか、答えがここにあります。

ブログ一覧へ

カテゴリー

    最近の投稿

    有賀泰治ブログ
    月別アーカイブ

    - サービスメニュー -