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有賀泰治ブログ

2021年1月 経営方針共有勉強会

新年の経営方針共有勉強会

松本市のコロナ警報4で3日目から中止。
来月からはしばらくZOOMで対応していくことにしました。

経営方針共有勉強会
テーマ《 こころ 》

2021年01月01日
有賀泰治

1、心を鍛える
・・・・・「心の奥底にある本来の自己」(松原泰道老師)/佐々木直 陶冶会会長

2020年は、「新型コロナウイルスで始まり、新型コロナウイルスで終わる」、と言えればよ かったのですが、残念ながらいくつかの国を除き、「新型コロナウイルス」との戦いは続 いています。
ドイツのメルケル首相は、今年初めの第一波(3 月)の時、「ドイツは第二次世界大戦以 来の戦いに直面した」と、その覚悟を国民に示しました。また、最近(11 月末)の第二波 の時には、「忍耐、連帯、自制心を」と、心から訴えました。
今、世間で語られていることの一つに、「コロナ後は、感性の時代となり、精神的な豊 かさが求められる」との論調が多くあります。まさに、世界は、リーダーとしての素養 を、ドイツのメルケル首相に重ねているようです。
日本でも、「心の時代」と言われて久しくなります。しかし、一向に「心の時代」にな るどころか、逆行しているように見えます。

松原泰道老師が書かれた「般若心経」に出てくる言葉、「心の奥底 にある本来の自己」(真我)について思います。
つまり、メルケル首相のような「人格者・勉学者」は、この「心の奥底にある本来の自己」を、若い頃から鍛えて来られた方だと思います。

「心の奥底にある本来の自己」は「悟り の世界です、ここを鍛えましょう」

坂村真民先生に「一本の道」という詩があります。

木や草と人間と         どこがちがうだろうか
みんな同じなのだ        いっしょうけんめいに
生きようとしているのをみると  ときには彼らが
人間よりも偉いとさえ思われる  かれらはときがくれば
花を咲かせ           実をみのらせ
じぶんを完成させる       それにくらべて人間は何一つしないで終わるものもいる
木に学べ            草に学べ
わたしはじぶんに言いきかせ   今日も一本の道を歩いて行く

小林一茶に「目(め)出度(でた)さも ちゅう位なり おらが春」があります。世界的な大恐慌のなか、この現状を、この逆境を、甘んじて生きて行こうではありませんか。
一つ一つ、一歩一歩、心を鍛えていく中に、自ずと光は輝くものです。
苦しかったこの昨年に感謝しつつ、今年がよき年でありますよう、お祈り申し上げます

2、不屈の心に咲く花

年をとってから最後の一花を咲かせることを「老いの入(いり)舞(まい)」という。漫才師の故・内海桂子さんは、「私の人生はまさにそのとおり」と振り返っている。
16歳で初舞台を踏み、名コンビ「内海桂子・好江」が誕生したのは70年前。世代を超えて多くの人から愛された。その人気に安住することなく、50歳を過ぎて絵を描き始め、個展を開催。87歳で始めたツイッターでは、2020年4月まで約10年にわたり、毎日“つぶやき”続けた。
彼女の人生哲学は「ねじ巻き人生」。貧乏のため、9歳から働き出した。稼ぎの半分は実家に送り、残りを三味線や踊りの月謝に充てたという。「私はことあるごとに自分でねじを巻き、転んでも起き上がってきました」「くよくよしていたって始まらないし、明けない夜はありません」(『人生は七転び八起き』飛鳥新聞)
人生の真実の美しさは、心の輝きにある。自分自身と戦う中で、磨き鍛えられた人格の光彩は、歳を重ねれば重ねるほど、まばゆい輝きを放っていく。苦難や試練に負けない「不屈の心」という土壌に、自分らしい「花」は咲き薫る。
「心の宝」を積み重ね、希望の種をまき、幸福の花を咲かせる生き方を真摯に学びたいものだ。

3、「梵天(ぼんてん)勧請(かんじょう)」

「作者はこの人物のどのような心を表現しようとしたのか、次の中から選べ」。ある大学の入試問題で、作家・遠藤周作氏の作品が引用された。
その問題を、氏が実際に解いてみた。氏は選択肢の全てが「正しい」と感じたという。「人間の心なんて、それほど単純なものじゃない。複雑な感情が絡みあっているわけで、一つの答えだけであらわせるもんじゃない」(『らくらく人間学』青春出版社)
仏典に「梵天勧請」という説話がある。釈尊は悟りを開いた後、すぐに説法を始めたわけではない。
“悟りを説いても、人々は理解できず、そしるだろう”とためらった。この時、梵天が姿を現し、逡巡(しゅんじゅん)する釈尊に、3度にわたって説法を勧める。それによって釈尊は決意し、民衆救済へと旅立った。
世界的な仏教学者・チャンドラ博士は、“東洋の哲学を語っている”
この「梵天勧請」について、釈尊自身の“生命内奥”の葛藤が表現されたもの、との見解だ。仏であっても迷い、苦悩することがある。ましてや、人間の心ほど移ろいやすいものはない。
人生、「自分自身どの戦い」の連続だ。いかなる苦難にも紛動(ふんどう)されない“強い心を育むために、精進したいものだ。

4、信頼を広げる

「ウルトラマン」シリーズを彩る個性豊かな怪獣たち。見た目もさることながら、地球を侵略する手段も実に多様だ。「ウルトラセブン」に登場するメトロン星人は、人間同士の「信頼感」に目をつけた。
人間を凶暴化させる物質を社会に拡散させ、互いの関係を壊そうともくろむメトロン星人。潜伏するアパートでちゃぶ台の前に座り、自らの陰謀を語る。「地球を壊滅させるのに暴力を振るう必要はない。人間同士の信頼感をなくせばいい。人間たちは互いに敵視し傷付け合い、やがて自滅していく」
社会を支えている基盤は互いの信頼感・・・実に示唆に富んでいる。メトロン星人は、ウルトラセブンの必殺技の一つエメリウム光線によって謀略もろとも撃破された。しかし、現実社会の諸課題を乗り越えるのは、そう容易ではない。
世界の各地ではなお、人種や思想等の差異を巡る複雑な対立が続いている。こうした問題を単日月に解決する“とどめの一撃”は現実に存在しない。互いに信頼し、尊敬し合う社会を築くには不断の努力が必要だ。
「分断された、人間と人間の心を結ぶ、人類統合の原理」周囲の一人一人とを結び、信頼を広げる。ここに、分断を乗り越える地道にして着実な実践が宗教心である。

5、目の前の友のために

57年前の東京五輪のサッカー競技では、日本が初戦で強豪アルゼンチンを破る大金星を挙げた。代表選手だった川淵三郎氏が、当時を振り返った。
試合後の控え室に関係者が押し寄せ、選手たちも抱き合って喜んでいた時のこと。ドイツ人のコーチのクラマー氏が言った。“きょうは多くの友達が来るだろう。でも今、本当に友達を必要としているのは、アルゼンチンのチームだ。だから僕はこれから彼らのもとに行く”
その後、日本は準々決勝でチェコスロバキア(当時)に完敗。試合後、閑散とした控え室で語った。“新しい目標へ練習を始めよう。みんなに言いたいのは、きょう来る友達は数こそ少ないだろうが、それが本当の友達だということだ”
困難の時こそ本当の友が分かる・・・古今東西の真理だろう。
人生、いつも順風とは限らない。だからこそ、苦境の人に寄り添い、励ましを送る友の存在が大切だ。

6、血の通った絆

30年ほど前、歌手のアンネス・チャンさんが、アメリカの大学院で学んでいた時のこと。授業で「家族のあり方」が議論のテーマになった。
理想の家族像を問われたアグネスさんが、「父親と母親がいて、子どもが何人かいるというのが基本型だと・・・」と言った途端、一斉に反論が。では、父親や母親に先立たれた家族は? 子どもがいない夫婦は? 結婚しない人は? ・・・議論の中、自分の固定観念や偏見に気付いた。
帰宅後、3歳の長男に聞いたt「いい家族って、どんな家族かな?」。すると近づいてきて、小さな手を胸に当てながら言った。“思いだすと、この辺が温かいもの”。一緒にいなくても、血縁がなくても、さらには生死も超えて“心を温めてくれる存在”が家族なのだと思い至った。(『みんな地球に生きる人Part2』岩波ジュニア新書)
多様化する社会で家族の形もさまざまだ。それでも変わらないのは何か。
「ありのままの自分を受け入れてくれる『心の港』と。どんな人生の嵐に遭おうと、安心できる“よりどころ”があれば、人は力を得て、再び立ち上がれる。
人間をつなぐのは「形」でなく「心」

7、素晴らしい出会い

「私の生涯を通じて忘れることのできぬいちばん重要な日」・・・アメリカの社会福祉活動家ヘレン・ケラーが、そう記した日がある。7歳になる前の3月3日、初めて家庭教師のアン・サリバンと出会った日だ。
ある日、2人は、大きさの違う玉を、決められた順序で糸に通す練習をした。目・耳・口の三重苦を抱えたヘレンは、どのような順序だったか思い出そうとした。その時、サリバンはヘレンの手のひらに「考える」と書いた。それは、植物や物の名前など、ヘレンが手に触れるもの以外の言葉を初めて知った瞬間だった。
サリバンは日常のさまざまな機会を逃さず、ヘレンの成長へとつなげた。その感謝を、ヘレンはこう述べている。「私のうちにあるすべての善きものは、ことごとく先生のものなのです」(岩橋武夫訳『私の生涯』
人生は、出会いによって大きく変わる。
「善知識たいせつなり」「善知識に値(あ)う第一のかたき事なり」導いてくれる存在の重要性を感じる。

8、「花を咲かせる人」「種をまく人」、そして「幸福の人」

道端の石垣の割れ目で、タンポポが咲いていた。幼子の手を引きながら母親が言う。「どこから飛んできたのかな」
白い綿毛のことだろう。風に運ばれてきたのかもしれない。アスファルトだらけの場所であっても、わずかな隙間さえあれば綿毛は地中深くに根を下ろす。母は凛とした黄色の花を指差して、「きれいだねえ」と、わが子に優しく微笑んだ。
詩人・金子みすゞの作品に、タンポポをたたえた一詩がある。「瓦のすきに、だァまつて、春のくるまでかくれてる、強いその根は目にみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ」(『空のかあさま』JULA出版局)。タンポポは環境を選ばない。雨の日も風の日も、今いる場所で下へ下へと根を張っていく。だからこそ踏まれても踏まれても、何度でも起き上がる。
タンポポの花言葉の一つは「幸福」。それなら綿毛は“幸せの種”といえようか。「幸福は、忍耐という大地に咲く花である」。
長い人生、じっと耐え忍ぶことが必要な時もあろう。苦難の風雪を超えて、ひとたび花を開かせたなら、その姿を見た心にも「幸福」の種が芽吹くに違いない。

9、決意の一人

日本初の洋式灯台「観音崎灯台」の初点灯から151年(2020年)を迎えた。現在、航海には衛星利用測位システム(GPS)が活用されているが、かつては灯台が暗夜の海で唯一の“命綱”だった。
その光を送り続けたのが灯台守。彼らの多くは僻地での生活を余儀なくされ、買い物一つするにも、海岸の危険な岩場を通らなくてはならなかった。妻子が波にさらわれたこともあった。
それでも海の安全を守るために、灯台の光を絶やすわけにはいかない。厳しい環境にあった灯台守の心を支えていたもの・・・それは“自分がやらなきゃ誰がやる!”との「守灯精神」だった。(不動まゆう『灯台はそそる』光ブン社新書)
時代は変わっても、こうした先人たちの崇高な心意気を忘れてはならないだろう。“他の誰でもない、私が断じてやる”・・・地涌の使命に目覚め、燃え上がる使命感によって切り開かれてきた。
「自分がすべてを担う、主体者、責任者の自覚に立つ時、勇気がほとばしる。力が出る。英知がわく。執念が燃え上がる」と。一つの灯台が輝けば、無数の船を安全な航路に導くことができる。

10、童心

『ことばに遊ぶ』毎日新聞社の掲載より。
朝、保育園に向かう父子を見た。子どもが雲ひとつない空を指して「おそらがニッコリしている」と言い、散歩中の犬に「わんわん、おはよう!」と、おじぎをする。父親は一つ一つ「そうだね」「うれしいね」と笑顔で答えていた。
子どもは何でも自分の仲間のように感じることができるらしい。そう言ったのは言語学者の外山滋比古(しげひこ)さんである。「イヌ、ネコに話しかけるのはもちろんのこと、おもちゃの人形から雨や風、山や川にも語りかける」

あらゆるものに生命を見る。・・・
まさに子どもは詩人である。しかし周囲の関わりが、その詩心の芽を育むこともあれば、摘んでしまうこともあるようだ。
お子さん新しいものに触れた時、その驚きや反応に対して、親がいっしょに感動してあげられるか、それとも無関心に聞き流してしまうかで、その後の人生の幅が違ってくる。
「餓鬼(がき)は恒河(ごうが)を火と見る・人は水と見・天人は甘露(かんろ)と見る」と。物の見方に、その人の境涯(きょうがい)が表れる。ありふれたものにさえ深い意味や美しさを見いだす詩心は、豊かな境涯と同義であろう。
童心とは未熟な心のことではない。私たち大人が立ち返るべき「人間性の原点」である。

11、見えないもの 大切なもの

「夜の闇のなかに星が見えるように、苦悩のなかにこそ人生の意味が見えるものである」。
文豪トルストイが書きとどめた、詩人ソローの言葉。(北御門(きたみかど)二郎訳)
コロナ禍の中で、改めて気づいたことがある。人との接触が制限される中で、初めて見えてきたことがある。「私たちが生きるうえで大切なことは何か」ということ。
「大切なものは目に見えない」とはサン・テグジュペリの『星の王子さま』の一節。彼がこの言葉を記す十数年前、童謡詩人の金子みすゞはうたった。

青いお空の底ふかく
海の小石のそのように
夜がくるまで沈んでる
昼のお星は眼にみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ

(「星とたんぽぽ」、『金子みすゞ童話全集』JULA出版局)

トルストイはロシア、ソローはアメリカ、サン・テグジュペリはフランス、金子みすゞは日本。民族や言葉を超え、「見えないもの」「大切なもの」見ようとするまなざしは共通する。
いのちを守る医療関係者をはじめ、コロナ禍の前線で奮闘される全ての皆さまに感謝したい。コロナ終息後の社会のあり方が議論されるが、「見えないもの」「大切なもの」に改めて気付いた私たちは、より良い社会を建設できることを願う。

12、心一つで、人生は大きく変わる。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」
肺結核を患った幕末の志士・高杉晋作は、病床でこう詠んだ。
敬愛する師・吉田松蔭は、罪人として裁かれ、命を奪われた。海外を巡りたいという望みもかなわなかった。晋作にとって幕末は、いわば“思い通りにならない時代”。それでも、師の仇討ちを誓い、維新回天の流れを開いた。激動の27年の生涯は、今なお多くの人々を魅了してやまない。
冒頭の句に、幕末の女性歌人・野村望(も)東尼(との)(もとの)が「すみなすものは心なりけり」と続けたとされる。おもしろくするのは自分次第、となろう。自分の置かれた境遇を嘆いても、何も変わらない。むしろ、困難な現実と格闘し、活路を開く逆転劇に、人生の面白さはあるものだ。
晋作は、一瞬一瞬を大切に生きよう、片時も無駄にせず、生あるうちになすべきことをなそう、と完全燃焼で生きられただろう。
さまざまな変化に賢明に対応しつつ、価値ある日々を朗らかに創造したいものだ。

13、自在に希望の未来を描き出す、強くしなやかな心

ピカソは“変貌の画家”と呼ばれた。作風の目まぐるしい変化を繰り返したからである。彼は、こんな言葉を残している。
「私があの子たちの年齢のときには、ラファエロと同じような素描できた。けれどもあの子供たちのように素描することを覚えるのに、私は一生かかった」
巨匠がたどり着いた理想の形は、“子供たちが描く自由な絵”だったのだろう。彼は「芸術家とは見つける人だ」(『ピカソ・・・生と創造の冒険者』)
童心とは、何気ない日常の中に“美しさ”を見出す心を言うのかもしれない。
ピカソの言葉を思い出したのは、「少年少女希望絵図展」の受賞作品を見たからだ。家族の笑顔や見慣れた景色、身近にいる虫や花も、“小さな芸術家”の筆にかかると、なんと豊かな色彩と躍動感を放つことか。
受賞した少女の言葉
「絵を通して心が広がった分、なんでも前向きに挑戦したいと思うようになりました」
絵画展の授賞を励みとして、地域の絵画展でも表彰を受けた子、英検3級にも合格した子もいる。
「心は工(たくみ)なる画師の如し」と。心は誰にも縛れない。

14、心の距離

「ステイホーム」で家族や親子で過ごす時間が増えた。教育アドバイザーが語っていた。「共有型しつけ」と「強制型しつけ」を思い出した。
前者は、子供と経験を共有しようとするタイプ。子供自身に考える余地を残し、掛ける言葉も子供に合わせて変える。後者は、子供がすべきことをするまで指示しないと気が済まないタイプ。子供に考える余地を与えず、禁止や命令、強制的な言葉がけになることが多い。
実際は区別できない場合もあろうが、大切なのは「強制型しつけ」ばかりでは人は伸びないということ。叱られながら渋々行動するより、自ら進んで行動するほうが身に付くのは大人も同じだ。
ある詩人が“言葉の原則”を語っていた。「うれしい言葉は流れやすいからたくさん言う」「つらい言葉は1回か2回で止める」この原則を実践すれば自分の周囲はもっと明るくなります、と。言葉とは、それを発する人の“心のまなざし”であり、たとえその言葉が本意でなくても、そのまなざしで相手と向き合おうとする姿勢は確実に伝わる。
「わざわいは口より出(い)でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」

15、不屈の心

かつて沖縄の首里城の正殿に掛けられていた「万国津(ばんこくしん)梁(りょう)の鐘」。その銘文には「舟(しゅう)楫(しゅう)を以(も)て万国の津梁となし」、すなわち「船を操って世界の架け橋となり」とあった。気宇(きう)壮大(そうだい)な沖縄の心意気がみなぎっている。
沖縄の“海の英雄”とたたえられている「久松五勇士」がいる。時は1905年。日露戦争中、北上するロシアのバルチック艦隊に、宮古島へ向かう沖縄の帆船が遭遇した。“一刻も早く本土に知らせなければ!”。だが、当時の宮古島には無線の施設がなかったため、約130km離れた隣の石垣島まで行くしかない。
そこで立ち上がったのが5人の青年漁師。石垣島へ、サバニと呼ばれる小さな丸木舟で出発した。荒波にもまれながら、懸命にこぎ続けること15時間。決死の航海の末に、危急(ききゅう)の情報を届けた。
久松五勇士を歌った歌がある。「黒潮闘魂」(作詞作曲・奥平潤)
無名の庶民の不屈の精神をたたえている。有名で偉大な人はいる。しかし、無名にして偉業をなす人は、さらに偉大である」名もなき民衆によって切り開かられてきたことは多い。「一人」が立ち上がれば、時代が変わる。不屈の心を胸に、“自分自身の新時代”を築きたいものだ。

16、四苦を四徳へ

作曲家・ピアニストの山中惇史さん。
「クラッシック音楽は、楽譜に沿った忠実な演奏が求められる。その奏法は何百年も変わらない」「変わらないから面白いのです」と。
クラッシックの名曲には、偉大な音楽家たちの“魂”が息づいている。魂の力は、時を経ても衰えない。そこに迫ろうとする限り、楽器や演奏者が変わっても人々を魅了し続けるだろう。
変化変化の社会。近年は、インターネット等が普及し、新しい情報、新しい製品が容易に手に入るようになった。が、どんな新情報や新製品もすぐ古くなる。しかも、そのサイクルはますます短くなるようだ。心したいのは、いかに技術が進歩しても、人間の本質に関わる「生(しょう)老(ろう)病死(びょうし)」という根本的な苦悩はなくならないということだ。
仏法は「生老病死」という四(し)苦(く)を「常(じょう)楽(らく)我(が)浄(じょう)」の四(し)徳(とく)に転じる哲理と実践を説く。
すなわち、「生」を喜びと充実で満たし、「老」や「病」さえ大きな境涯を開く糧にし。「死」を永遠の幸福への晴れやかな出発にしていく。この叡知(えいち)は、古くなることがない。
混迷を深める時代に、「生きた哲学」を学び、実践し、希望広げる。この尊さを、改めて思う。

17、人間としての連帯

「未来への伝言」という映画がある。大流行したポリオ(小児まひ)から子供たちの生命を救うため、ソ連(当時)の生ワクチンを入手しようと運動した日本の母親たちと、大量のワクチンを製造したソ連の医学者たちの奮闘を描く。
日本で大流行したのは、東西冷戦下の1960年。北海道を中心に感染は瞬く間に拡大し、年間報告患者数は5,000人を超えた。300人以上が犠牲になっている。当時、有効とされた生ワクチンは国内使用が認められておらず、研究が進んでいたソ連からのワクチン寄贈の申し出もストップがかかった。
翌61年も流行は続き、「ポリオ患者発生数即日集計」が毎日、報告された。生ワクチンを求める声は国民運動となり、国は1,300万人分の緊急輸入を決定。ソ連からは1,000万人分が届けられた。ワクチン投与後、流行は急速に収束した。
『我が子を救いたい!』という母親たちの一念が、国家のコンクリートの壁を壊した。
尊き生命を守るためには国境を越えた「人間としての連帯」が不可欠・・・これが未来への伝言だろう。

18、楽観主義

世界的大流行を意味する「パンデミック」は、古代ギリシア語の「すべての人々(pandemics)が語源という。
伝染病は、誰にでも感染の可能性がある。こうした危機を乗り越えるには、どうするか。哲学者の岸見一郎氏は「『勇気』がすべての人に伝染しなければなりません」と強調する。
それはどんな「勇気」なのか、氏は二つ挙げる。
一つは“他者を仲間だと思う勇気”。
皆が共に闘う同じ人間であり、感染の有無によって地域や人々を差別しない。
もう一つは“悲観的にも楽天的にもならない勇気”
個人の力が及ばない問題であっても諦めない。
氏は「悲観主義でも楽天主義でもなく、『楽観主義』に立たなければなりません」と。(『今ここを生きる勇気』NHK出版)
厳しい現実を前に“どうしようもない”とうなだれるでもなく、“何とかなる”と甘く見るものでもない。決して希望を失わず、目の前の課題に向かって“今、自分に出来ること”を実行する。楽観主義の人は、不屈の心の人であるとともに、弛まぬ行動の人ともいえよう。
「現実」を見つめつつ、「現実」に屈しない。目の前の一人に真心の励ましを送り、その輪を足元から広げていく。この“たくましき楽観主義者”が、社会を根底から支える力になる。

19、他者の痛みに同苦する心“ぬくもり”

国際的な人道支援活動に力を注いだ犬飼道子氏。彼女は戦後まもない頃、留学先のアメリカで結核を患った。療養のため、カルフォルニアの結核療養所に入院することに。
滞在していたニューヨークからの移動は、特急の寝台列車で4泊5日を要した。診療所の最寄り駅は、終点手前の駅。特急列車は停車しないため、終点からバスの移動を予定していた。ところが、終点に近づく前、緊急停車する車内アナウンスが流れた。
彼女の容体を心配した乗務員たちが、鉄道省本部に診療所の最寄りの駅で停車する了承をもらっていたのである。下車する彼女に、乗客たちは次々と励ましの言葉を掛けた。診療所の彼女のもとに、「あの列車の一乗客より」と記されたプレゼントが届くこともあった。(『アメリカン・アメリカ』文藝春秋)
この出来事は、乗務員たちが苦しむ彼女に寄り添うことから始まった。その真心は、乗客たちの心も動かした。思いやりは、目の前の人を勇気づけるだけでなく、周囲に支え合う心を広げる。心を打つのは、どこまでも心だ。

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