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有賀泰治ブログ

11月の経営方針共有勉強会

今月のテーマ

《 感謝 》

知覧の特攻隊 《神風》 のビデオ上映

感謝の気持ちがもっとも強い、家族への思いの手紙がつづられたビデオだと思います。

 

1、感謝について、ロバート・A・エモンズの著書より抜粋し

サブタイトル 《感謝するひとは幸せになれる》

方法を、感謝することでかなえられるということを考えてみました。
翻訳書なので、文章が回りくどかったり、日本的表現でない内容(宗教的)だったりしてますが、じっくり読んでみてください。必ず皆さんの役に立つと思います。

2、
感謝とは人間の幸福感に重要な役割を果たす、深く込み入った感情であることに気づきました。
さらに、感謝というこの感情の陰には、私たちの人生に大きく影響を及ぼす、何か法則が存在するのではないかと考えました。
「感謝」この普遍的な神髄を理解しようと、神学、哲学、社会学の文献をつぶさに調べた結果、感謝という能力はヒトという種、そしておそらくほかの種のDNAの中にも深く織り込まれていると信じるようになりました。・・・・・
そして、それまでは、すべての人に幸せの「セットポイント」があり、それは何が起ころうと変わることのない、幸せの基準点であるという考え方が広く支持されていましたが、私たちの調査結果はその考え方に矛盾する発見でした。
それは、感謝したおかげで人生が変わった、あるいは感謝を実践する人の周囲にいる家族や友人が口を揃えて、彼らはとても幸せそうで、彼らのそばにいる自分たちも以前より楽しく過ごせると言っている点です。
・・・・・ロバート・A・エモンズ

感謝の正体
多くのひとは感謝というものについて自分なりの感覚をもっています。たとえば私が贈りものに感謝するときはこうです。誰かから何かを贈られたことを理解し、その贈りものの価値を認識し、贈り主の気持ちをありがたく思います。こうした贈りものには、物質的なものもあれば、精神的なものもあるでしょう。・・・・
オックスフォード英英辞典では、感謝を「ありがたく思う性質もしくは状態。親切に対して返す気持ち」と定義しています。「感謝を(gratitude)」という言葉は、ラテン語で「好意」を意味する gratia と「喜び」を意味する gratus に由来しています。このラテン語を語源とする派生語はすべて、親切、寛大、贈りもの、与えることと受け取ることの美しさ、あるいは無償で何かを得ることに関係しています。
感謝は喜びであり、心地よい感覚です。また、感謝は生きる活力にもなります。感謝しているとき、私たちは他者から受けた善意を分かち合おうとしているのです。

感謝とは認識し理解すること
第一に、感謝とは、人生におけるすばらしさに気づくことです。
・・・感謝するとき、私たちは人生を肯定します。すべてのものにつながり、人生はすばらしく、生きる価値があると考えるのです。自分を喜ばせてくれるものを他者からもらったという感覚は、もらったものそのものによってであれ、それをくれた人の努力によってであれ、その贈りものが自分に与えられたことに注がれる。

第二に、感謝とは、このすばらしさの根源が、少なくとも部分的には自分の外側にあるという認識です。それによって、自分以外の何かに感謝するのです。
・・・感謝は感情を超えていると言えます。つまり、感謝するには・・・
① 他者の親切を受けていること、②相手は自ら利益を提供しており、個人的な支出が伴うことも珍しくないこと、③ 受ける側がその利益の価値を理解しようとすることが必要なのです。
感謝は人間性、すなわち、私たちは他者からの貢献がなければ人生において何者にもなれず、どこにも居場所がないと知ることを暗に意味しています。また、他者が私利私欲を忘れ、私たちに利益をもたらす場所があることを知ることも示しています。
感謝とは、自分たちが善意の受け取り手であると気づくことです。

自分に値するもの以上のものを得るということ
感謝に欠かせないのは、それは自分が受け取るに値するよりもはるかに価値のあるものを与えられたという考えかたです。
人間の心には、恩恵を受け取る傾向に反作用する働きがある。つまり忘れっぽいのです。人間は、物事を当然のこととして受け取りがちです。高望みもします。よいことがあれば、すべて自分自身のおかげと考えます。結局、自分が得たものに関してはすべて、「自分は成果を手にする資格がある」と思うわけです。
私たちは、過去も現在も他者からの助けに支えられており、それを忘れてはならないのです。
感謝した人々は、そうでない人々よりも幸福で、否定的な感情や結果の影響を受けにくいという報告が多くあります。
感謝は単なる「ポジティブ思考」や「幸せになる」テクニックというだけではなく、むしろ人生が与える最悪の状態にあってもよいことや善意は存在するという、永続的な深い認識だということを示しています。それこそが、私たちの困難な状態にあるときの感謝という存在なのです。

なぜ感謝をすることが大切なのか
日々の暮しのなかで他者とかかりあうとき、感謝は人生におけるとっても重要な要素になります。
人々が互いにかかりあっているとき、感謝は文明的で人間的な社会をつくる基礎のひとつになります。
私たちは感謝をすることで自分たちを助けてくれる人々の善意を確認し、他者への敬意を表わします。いつも感謝であふれていれば、自分たちは先祖代々限りなく恵みを与えられていることを考える、ある種の西洋文化に見られるように、ひとつの文化全体の生活を支配することさえできるのです。

感謝する人は、そうでない人よりも、喜び、熱心さ、愛、幸福、楽観性といったプラスの感情をより高いレベルで経験することや、感謝を実践することで、ねたみ、恨み、貪欲、苦しみといった破壊的な衝動から自分を守ることができます。感謝を体験する人は「他者とかかわっている」という意識が強まり、人間関係を改善したり、相手を思いやる気持ちにすらなるという心もおこる。
そして、人は感謝を体験しているとき、そうでないときよりも愛やゆるし、さらには神をいっそう身近に感じるようになります。
感謝は善がもたらす喜び、すなわち他者や、神、そして私たちの人生がもたらす喜びを最大限にしてくれるのです。自分に与えられたものを楽しむとき、「持っているもので満足する。」とき、幸福感がいっそう大きくなるのです。
感謝の重要な点は、人生を豊かにする力があるということです。

感謝は私たちの品性を高め、エネルギーを与えたり、刺激をしたりします。他者への感謝を体験し、その気持ちを表現することで、人は心を動かされ、心を開き、謙虚になります。感謝は、人生そのものを贈りものとして大切にすることになり、人生に意味を与えます。逆に感謝がなければ、私たちは孤独で憂うつで、不毛な人生を送るでしょう。
はっきりしていることは、感謝は幸せになるための鍵であり、そして、幸せは何ものにも代えがたい大切なものである、という事実です。

科学文献によると、幸福な人はそうでない人よりも創造的で頼りになり、慈悲深かく、自身に満ちており、よりうまく自分をコントロールでき、豊かな自己規制力と協調性を示すとしています。
この事実からわかるように、幸せな人は、活躍し、成功する人です。ということは、他人を思いやる行動や創造性、仕事の成果、身体的健康、人づきあいなど、幸福感によってほかのプラスの変化を期待できるとの同じように、人々が長寿と富以外の喜びをもっとたくさん感じられるようにすることが大切になってくるのです。
深い感謝の気持ちを長く持ち続けられることは、日常のできごとにちょっとした喜びを味わえる才能でもあります。そして、それはなんといっても人間としてすてきな能力です。

古代ローマ時代の哲学者キケロは何ものにも「感謝とはもっとも偉大な徳であるだけでなく、ほかのすべての徳の親である」と説き。
同時代の哲学者セネカは「感謝をもって恩恵を受ける人が、負債の第一回支払いをすませている」と述べました。
また、「自分の持たないものを嘆かず、持っているものを喜ぶ人は賢明である」
・・・哲学者エピクテトス
「私たちは通常の生活において、与えるよりも受取っているもののほうがはるかに多く、感謝してこそ人生が豊かになるということをほとんど理解していない」
・・・神学者ディートリヒ・ポンヘッファー
ポジティブ心理学を支持する心理学たちは、人生を豊かにする、そのような心理学的傾向に関心を抱いていま。

感謝という「態度」を選択する。
感謝は健康や富、美醜のような条件に左右されず、人生において自分の意思で選択できる反応なのです。
感謝の気持ちは意識して育まなければならないのです。

感謝はよい人生のための秘訣である。
感謝は私たちが知るなかで、もっとも純粋で美しい瞬間を生むと述べました。多くの人が、感謝にまつわるエピソードを、生涯の最良の瞬間のひとつだと言います。
「最高の満足を手にするためには、自分が受けた恵みに対して、意識して感謝することである」という考えかたがよくみられます。
20世紀の偉大な人文学者、医師、神学者でありノーベル平和賞を受賞したアルベール・シュバイツァーは感謝を「人生の秘訣」と呼びました。
彼は「もっとも偉大なことは、すべてに感謝を捧げることです。これを身につけた人には、生きることが何を意味するかがわります。その人は、人生全体に及ぶ謎、すなわちすべてに感謝することを生涯続けるでしょう」述べました。
古代の古典から現代の信心深いひとに至るまで、恵みを数えることは、人生をよりよく生きる方法として、しばしば勧められてきました。

恵みと重荷を数える
「感謝の態度」が幸福レベルに与える。
一時的な感謝の体験は、研ぎ澄まされた感謝の気質を持つことと同じではありません。どんな

状況でも深い感謝の気持ちを持つような人は、もらった贈りものに、二三日だけ感謝しているだけの人とは大きく違っています。
あなたが生活の質を改善させたいのなら、「感謝日記」をつけることを習慣にし、続けることを強くお勧めします。

自分という贈りものに感謝する
人生での恵みに感謝を表すこと・・・手にした恵みに感謝したり、ありがたく思ったり、高く評価すること・・・は、多くの理由から、よく幸福のレベルを上げてくれます。
よく感謝をする人は自分の人生に期待し、恵みを受けやすくなるため、自分がおかれている環境から最大限の満足と楽しみを引き出せるのです。
日々のありがたかったこと、うれしかったことを当然と考えてはいけません。そして自分が受けた恵みをひとつひとつ確認すると、幸福レベルは元へは戻らず、喜びに慣れることを避けられます。自分の受けた恵みを意識して思い出し、贈りものとしてとらえる行為そのものが、私たちの気分をよくするからです。
いただいた恩恵を贈りものと思うことで、そこで生まれるプラスの感情がさらに私たちに好影響をもたらすのです。よい経験をしたときもそれを贈りものととらえると、ますますよい感情をもてます。日ごろからこうした考えかたを強くもっていれば、、私たちが意識を向ける対象が増えて、プラスの感覚がさらに強まります。つまり、感謝は幸福な状態に直結するひとつの方法となるのです。

感謝をどう表現するか
「感謝をあらわす」
感謝の訪問のしかた。次のように行動します。まず、その人に300語程度の感謝状を書きます。感謝状には、どんなことをしてくれたか! どんな効果があったか! その結果、現在はどんな暮しをしているか! 具体的に記します。それから相手に電話をして、訪問したいと伝えますが、理由は言いません。驚かせるためです!
その結果、手紙を書いた人にとっても、手紙を受け取った人にとっても、とても感動的な経験となるでしょう!
きちんとした感謝の訪問を定期的に実行するのは現実的ではないかもしれませんが、毎日、心をこめて、誰かに感謝を表すことは可能です。

他者からの助けを受け入れるということ
私たちが子供だったとき、自分ひとりの力で何もできるなどとは思ってもいませんでした。自分たちが安全で快適な暮しを送っていられるのは親のおかげだと気づいていました。そして、成長するにつれて、私たちは他人に頼るばかりではなく、自分たちの要求を満たす方法をもっと自分で探すように教えられました。
私たちはみな、他者に依存して人生を始め、ほとんどは他者に何かしら世話になって生涯を終えます。ところが、そのわずかな生涯のあいだ、そのことに気付かない人のなんと多いことか。人間というものはこのように、一生の始めと終わりだけでなく、生涯をとおして他者に深く依存しているというのに。けれども、やがて、私たちは互いに依存していると気づきます。
生きることは他者とのかかわることであり、そうしたかかわりは満ち足りた生活に欠かせないものです。自分だけの世界で過していると、幸福や人生の意味を見つけることは難しいでしょう。しかし、感謝は私たちを自分の外の世界に連れ出してくれます。そこはとても大きくて複雑なネットワークの一部でありみなが互いにかかわっているとわかります。
ですから、真に自分を理解するためには、感謝は欠かせないのです。

人生とは与え、受け、報いることの繰り返しです。私たちは他者から何かを受ける存在であり、他者の助けや贈りもの、優しさに依存する存在なのです。
ですから、私たちは感謝するのです。感謝は快いものです。そして、私たちが恩恵に報いたり、過去の親切に返礼できるとき、誰かに頼られることも歓迎します。

感謝にあふれた期待
感謝を感じるにあたって最後の障害は、他者からの感謝を期待することです。他者に恩恵を提供したとき、感謝してもらうのはうれしいものです。しかし、感謝の反作用、障害は感謝という情緒や感謝の表現を妨げるために、一致協力してさようします。
私たちの親切な行いは、忘れられ、見逃される可能性が高いのです。そのため、もし私たちが、子ども、配偶者、いち友人いずれであれ、他者からの感謝を期待するようになると、失望されることでしょう。
感謝は支払われるべき義務ですが、期待する権利は誰にもない、とルソーは言いました。
心の底から生まれた真の寛大さは、見返りを期待しないところから生まれます。ひもがついているなら、贈りものは贈りものではありません。

試練のときの感謝
あらゆる環境での感謝
豊かに恵まれているときには、感謝はかんたんで苦労のない自然な反応のように見えます。物質的な成功の喜びを味わうことや、思いがけず職場で昇進した驚き、あるいは最愛の子供の誕生や、恋に落ちたときめき、友人や同僚からの称賛など、何かに対して感謝を感じることは、珍しくないでしょう。
事実、感謝もなくこのような成功や富を手にするのは、時には傲慢、わがまま、あるいは病的とさえ見られる時があります。しかし、このように自然に起こる感謝は、逆境や敗北のときには起こりにくくなります。苦しみは、私たちからちょっとした感謝を奪ってしまうのです。
自分がいつも享受している恵みに感謝し、怒りや忘恩、憂うつを払いのけ、生活を楽しむ能力を再び手に入れる能力を取り戻すためには苦しい闘いをしなければなりませんが、実のところ、回復への道はその苦闘の中にあります。
よいことが起こったときや、人生が思い通りに進んでいるときには、こうあるべきだと思う方向に進まなっかたりするときに感謝するのは、そうでないときよりもずっと大変です。
世界はあらゆる場面で、相当な苦悩を乗り越え、自分や自分のまわりで何が起ころうとも、感謝の気持ちを育むことのできた、非凡な人々の物語が多くあります。
私たちの苦しみは成長の機会に変えられます。

あらゆることに「ありがとう」
「感謝すべきことを思い起こすこと」や「自分には感謝すべきことがあると自分に言い聞かせること」は、もっともっと有益な対処行動である。
「感謝する態度を採用する」肯定的であり続けられるようにすること、「感謝日記」が有効。私たちの自己認識は、人生における重要な記憶と密接に結びついています。記憶しているおかげで、私たちは存在するとさえ言えるでしょう。
感謝の気持ちを心にとどめましょう。優しさを忘れないこと、他者との関係を大事にすること、見ず知らずの人の思いやりのある行動、思いがけない贈り物や日々の恵みを心に刻み付けておくのです。

感謝の実践

感謝の気持ちを育てる
生活や生活態度において感謝を育むことによって、長く幸せを得て、いっそう健康になることが科学的にもはっきり裏づけされています。それでも、日々、感謝を実践するのは難しいものです。何げなく感謝できる日もあれば、自分にとってよいことだけど、ほんとうは気のりしないことともあります。感謝はときにつらく、骨の折れる仕事です。修養も必要です。この感謝の気持ちを育む実践方法があります。

いつも感謝のうちにあたるための10の行動

一、「感謝日記」をつける

感謝の気持ちを育むための最良の方法のひとつは、贈りものや恩恵、そして自分が受けている親切を思い起こす方法であり、日々の実践を確実に行うことです。これを行うには、ありがたく思う恩恵を記憶する日記をつけることです。この方法を用いると、人はいっそう幸せになります。
感謝しているとき、私たちは、自分たちの生活に善意の根源があると確信します。感謝の気持ちを日々書きとめることによって、このような善意の根源をいっそう大きなものにするからです。たとえありふれたできごと、あなたの個人的属性や暮らし中に大切に思う人に関することであっても、感謝したときを思い出すために日々の時間をとることによって、人生の中での感謝というテーマがしだいに大きくなっていくのです。
日々の、感謝の気持ちを列挙することから始めましょう。

二、うまくいかなかったことを思い出す

おおかたの人にとっては、人生はどちらかというと楽しいものとしてとらえられます。
過去のできごとの記憶は肯定的なほうに傾きがちであるといわれてます。このように肯定的なほうに傾く傾向があるとしても、日々感謝する一覧表に載せる恩恵は、楽しいものに限ることはありません。
うまくいかなかったことも、思い出す必要があります。どれほどつらい人生だったか、そしてどれほど遠くに来たかを思い起こすとき、私たちの心の中には、はっきりと浮かぶ対象は、感謝を育む肥沃な大地です。
人生が与えた最悪のときを思い出すことが、感謝を育むための効果的な方法なるのはなぜでしょう? それは、人間が生まれつき備えている想像上の道具、つまり思考過程を利用しているからです。
「善は悪より強い」という、経験にもとづく心理があります。強い感情に彩られた人生の苦難は、記憶に深く刻み込まれ、そのためしばしば思い起こされます。
その反面、不愉快なできごとにまつわる思い出は楽しいできごとにまつわる思い出よりも、早く色あせてしまいがちだという傾向もあります。

三、自分への三つの問いかけ

日々、精神的な感謝を増やしていると、「内観」と呼ばれる仏教の瞑想技法を組み入れることが効果的になってくると気づきます。
内観は自力で長者となった、信心深い仏教徒である吉本伊信によって考案されました。彼は他者助けるための方法として、内観を見 (内観という言葉は「内側を見る」ことを意味します) 内省的になり、「心の中で自分を見る」ことを考案しました。その実践には、次の三つの問が含まれています。

どんなことをしてもらったか?
どんなことをしてあげたか?
どんな迷惑をかけたか?

このような問は、問題や関係の対処に役立ちます。関係の相互的な質を見る一助となり、労働状況、社会的な相互関係、あるいは自己をよち高い視点で見る目を育むることに向けられます。
最初の段階、最初の問いには、私たちがいだいた贈りものすべてを認識することが含まれます。ある人の笑顔、優しい言葉、あるいは頼りになる行動には、感謝の気持ちが生まれてきます。
そうして毎日、自分たちに起こったよいことに意識を向けていると、自分が抱えている問題の重さに打ちひしがれているのではなく、深い感謝に満たされるでしょう。
三つの問いをかける実践は、夜、20分ほどあれば、毎日行えます。これは一般的な方法なので、その日したことをじっくり考えるためにも使用できます。
瞑想中、どんな人間関係かにかかわらず、内観の過程は二つの主題を重んじます。
① これまで人に対して恩知らずでいたことに対する罪悪感に気づく。
② これまで、そして今、自分に手を差しのべてくれた人に対する肯定的な感謝の気持ちに気づく。
の二つのです。

四、感謝の祈りに学ぶ

ここで言う祈りは、礼拝などの形式にのっとったものではなく、肩の凝らないおしゃべりのようなものです。
祈りは、「宗教の魂、本質」「聖なるものとの親密さのもっともっと自発的な表れ」とされてきました。感謝の祈りは、祈りのかたちのなかでももっともっと一般的なものであり、さまざまな文化における宗教の聖典は、この種の祈りにあふれています。
感謝は一神教の伝統が本拠地ではあるものの、感謝が重要でないとする宗教は地上にありません。
仏教の師であるティク・ナット・ハンは、どんな信仰を持つ人にも、また信仰を持たない人にも実践できる、やさしい朝の祈りを考案しました。

この朝、目覚めて、青い空を見る。
人生におけるたくさんの不思議なことに、私は感謝のうちに手を合わせる。
私の前に、まっさらな二十四時間があることに。

五、目覚める

感謝のもうひとつの源は、「感覚」、つまり触れたり、見たり、嗅いだり、味わったり、聞く能力です。
感覚をとおして、私たちは、人間であることが何を意味するか、生きていることがどれほど信じられない奇跡なのかについて、知るようになります。
喜びにあふれた感謝ほどふさわしい反応でしょう。
「感謝の呼吸」
一、ほかに気をとられていない時間に毎日、二、三度、落ち着いて、意識を呼吸に向けます。
二、自分でも何もしていないのに、息がどうやって流れこんで出ていくかに気づいてください。そのまま、呼吸を続けましょう。
三、吐く息の五回から八回ごとに、静かに呼吸という贈りもの、そして生きている幸運を思い起こしながら「ありがとう」という言葉を口にしましょう。

六、視覚的に思い出させてくれるもの

「気づき」は感謝の前提条件です。私たちは、感謝すべきものがなんであれ、それに気付かなければなりません。気づいていないものに感謝はできないからです。自分自身に気づかせることが重要なのです。
感謝することを思い出させる目標を日々の習慣に組み入れ、実践する方法で、誰にもできることはいくらでもあります。
視覚で思い出させてくれる仕組み・・・
感謝を思い出させてくれるパートナーがいる・・・
感謝している人々とつきあい、その影響をほかの方向にも向けましょう。感謝している人を見つけて、その人と長い時間、共に過ごすことです。

七、感謝を実践すると誓う

ある行動をとるという誓いを立てることで、実際にその行動が行われる可能性が増すことが、明らかにされています。
特に他人の前で誓いを立てたときには、そのための行動をするという約束を表します。そのため、誓いを破ることは、重大な倫理上の失敗になります。
感謝を実践する誓いは、手のこんだものでなくてもかまいません。誓いを正式にするならば、しょっちゅう思い出せる、目立つ場所に貼りましょう。もっといいのは、頼りになるパートナーと、それらを分かち合うことです。

八、言葉に気をつける

人生のできごと、根本的には人生そのものの描き方は、人が自らの人生をどのようにとらえ、用いる言葉に影響を与えるといわれています。
私たちが用いる言葉が現実をつくるということなのです。
感謝にあふれた会話と、恩知らずな会話を比べて見ましょう。
感謝する人には、贈りもの、贈り主、恵み、恵まれた、富、幸運、豊かさといった言葉を使う傾向があります。その人たちは、感謝の会話をやりとりしています。
いっぽう、感謝の気持ちのない人たちは、剥奪されたと思ったり、自分が何かを受け取るに値すると考えたり、後悔や欠乏、要求、不足、喪失などの念にとらわれやすい傾向があります。

九、ふりをする

研究によって、暗闇のなかで幸福そうな表情をすることにより、自分たちが顔の「幸せな筋肉」を動かしてるとは思わなくても、そうしないときよりも幸せを感じることがわかりました。研究者たちは、微笑みそのものが幸福感を生み出すことを明らかにしたのです。
暗闇でなぜ幸せな表情を続けることができたのでしょう?・・・彼らは、歯に鉛筆をはさみ、微笑むときに使う筋肉を活発にしたのです。
大切なのは実行です。今やってみましょう。気持ちはすぐについてきます。心構えが変わると往々にして行動がかわるという、心理学的な根拠が多くあります。

十、既成概念にとらわれずに、ものごとを考える

恩恵を施す者と恩恵を受けるもののあいだにある善意のやりとりの力学に適合しないことがある。「変速的な事例」
第一の事例。自分に害を与えた相手に感謝する。言い換えれば、敵に感謝することです。これは、なんと不合理な考えに見えることでしょう。防衛したり仕返ししたり生来の傾向があるので、私たちのおおかたにとって、これはとても理解しがたい考え方です。とはいえ、これは仏教ではよく目にする理想です。ダライ・ラマはしばしば、仏教徒としてのこの教えを、敵対する者のために愛を実践する機会を与えてくれたすべての人に感謝していると、繰り替えし聴衆に語っています。
第二の事例。ボランティア活動に取り組む人が、自分のしたことから受ける恩恵について語り、使える機会を与えてくれた相手に感謝を表すことがあります。「道徳的模範」、すなわち、ボランティア活動など行った社会組織に対して、卓越した道徳的関与を行った人々は、共通してもつ資質は、強い肯定的な心構え、つまり、生活から喜びを取り出し、どんな事が起ころうとも、最善の結果を出すことです。

3、感謝について今月の言葉

感謝
金持ちになる方法を短い時間で教えるのは難しい。しかし、リッチな気分になる方法ならお伝えできます。しかも、それは金持ちになるよりずっとすてきなことです。私の実体験からお話ししましょう。感謝するのです。それこそが手早くリッチになるための、唯一の完全に信頼できる方法なのです。
・・・・・ベン・スタイン/俳優・コメディアン・エコノミスト

感謝
地球が生み出したもののなかで、恩知らずよりも忌まわしいものはない。
・・・・・デシムス・マグナス・アンソニウス

感謝
思いやりをもって行動しなさい。しかし、感謝を求めてはいけない。
・・・・・孔子

感謝の心
感謝の心は己を解き放ち、与える喜び、与えられる感動に生きる生き方につながっていく
・・・・・船井幸雄(船井総合研究所創業者)

報徳の教え1
およそ世の中は、智恵があっても学があっても、至誠と実行がなければ、事は成らぬものと知るべきだ
・・・・・^二宮尊徳(農政家)

報徳の教え2
朝夕に善を思っていても、その善事を実行しなければ、善人とはいえない。
・・・・・二宮尊徳(農政家)

真心
真心が、最後には勝利を占める
・・・・・松原泰道(南無の会会長)

外面と内面
外側を変えようとするよりも、自分の内面を変えるほうが問題は速やかに解決に向かう
・・・・・太田勝久(弁護士法人太田・小幡綜合法律事務所代表)

真価
逆境の時こそ、その人の真価が問われている
・・・・・菅原美千子(プレゼンス・デザイン代表)

『いいことは おかげさま わるいことは 身から出たさび』
いいことがあった時に感謝をすると、さらに幸せな気もちになれます。いいことがあった時に「当たり前」と思うと、あまり幸せは感じられません。
悪いことがあった時に「誰かのせい」にすると、よけいに腹が立ったり悔しかったり悲しかったりします。悪いことがあった時に「こういうこともある」「しかたがない」と考えれば、まだラクです
物事は、受けとめ方しだい、考え方しだいで、感じ方がずいぶんと変わります。
・・・・・相田みつを 『にんげんだもの』

『感謝する技術とは、あなたの感謝の気持ちに手や腕や脚をつけ、声を加えることで感謝することである。
感謝する技術とは、他人も幸福にしようと努力することで自分の幸福を感謝することである』

心から感謝できると、幸せな気もちになれます「ありがたいなぁ」「おかげさまで」感謝の気もちがあっても、言動に表さなければ、伝わらないでしょう。感謝の気もちを、相手に伝えることが大事なのでしょう。
感謝(の気もち)を伝えられた人はうれしいはずです、相手が喜んでくれれば、感謝した人もうれしいでしょう。
感謝できることは、誰にでもたくさんあると思います。感謝を、(心の中で)言葉に表せば、幸せな気もちとともに、感謝の気もちがふくらみます。
感謝の気もちを人に伝え、相手を幸せにすることができれば、自分も幸せな気もちになれるでしょう。

感謝することは、誰にでも実践可能な、幸せになる技術(方法)の一つではないでしょうか
・・・・・W・A・ピーターソン/(アメリカの作家)「生き方の技術」(実務教育出版)より

『いつも感謝の気持ちを持ち、それを口にすることは、長く幸福に生きるもっとも確実な方法でもある』
・・・・・サイモン・レイノルズ

『「感謝する心」は、人間社会のなかで心穏やかに生きる最高の発明品』
・・・・・斎藤茂太 「人生を変えた感謝の名言」

『感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく』
「楽しい」「うれしい」「感動する」「やすらげる」等々の幸せな感じはすべて、広い意味で言えば幸福感です。 「幸せだなぁ」のような幸せの感じは、狭い意味での幸福感です。「ありがたいなぁ」「おかげさまで」などの感謝で得られる感じは、狭義の幸福感に近いものです。
「幸せだなぁ」「ありがたいなぁ」などと心から思う習慣がある人は、日々確かな幸せを実感して生活できるでしょう。
・・・・・「松下幸之助「一日一話」」(PHP研究所)より

『恩恵に感謝するものは、恩恵からより以上のものを引き出す』
・・・・・パブリアス・シラス

『感謝する理由が見つからなければ、落ち度はあなた自身にある』
・・・・・北米ミンカス族の格言

『感謝と喜びで人生を考えるよう習慣づけよう』
心から感謝し、その気もちを言動に現せるように、素直に喜び、また喜びを得られるように、生きられるようになれたらいいのではないでしょうか
・・・・中村天風

『苦悩を数えてはいけない。幸せなことを数えて、それに感謝する時、人は幸せになることができる』
苦悩するようなことを考えると、不幸な気もちになる。幸せなことを考えれば、幸せな気もちになれる。その幸せに感謝できると、さらに幸せな気もちになれる。
・・・・・デール・カーネギー

『深い思いやりから出る感謝のことばをふりまきながら日々を過ごす――これが、友をつくり、人を動かす妙諦である』
感謝の気もちが自分に与える影響、自分の心の中に幸福感を生む。その人と接する際にやさしい気もちになれる。相手に対して何かいいことをしたくなく。
感謝の言葉が相手に与える影響、言われたら、気分がいい、うれしい、相手に対する好意が増す。お返しをしたくなるかもしれない。
感謝の気もちから生じる言動は、自分の心も相手も心も変え、関係を良くするために役立つのではないでしょうか。
強い感謝の心は、相手の言動・心情・存在に対する深い思いやりから生まれるのかもしれません。
・・・・・D・カーネギー 『人を動かす』(創元社)より

『私の、このヘタな文字、つたない文章も、見てくれる人のおかげで書かせていただけるんです。〈おかげさん〉でないものは、この世に一ツもありません。みんな〈おかげさん〉で成り立っているんです』
人は、たくさんの人のおかげで、ラクに、幸せに生きていくことができます。「おかげさま」と感謝できるのは幸せなことです。さらに、感謝の気もちを今後につなげていければ、なおいいでしょう。
時には、「おかげさま」に気づき、感謝の気もちから始めることができたらいいのではないでしょうか。
・・・・・相田みつを /「生きていてよかった」(ダイヤモンド社)より

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